“虎ハンター”小林邦昭ヒストリー<12>「ロスで聞いた空前のタイガーマスクブーム」(スポーツ報知)

【リンク先抜粋】
 1980年代前半に初代タイガーマスクと激闘を展開し“虎ハンター”と呼ばれた小林邦昭氏(64)が2000年4月21日に引退してから今年で20年となった。1972年10月に旗揚げ間もない新日本プロレスに入門。タイガーマスクとの抗争、全日本プロレスでは三沢光晴の2代目タイガーマスクと対戦、さらに平成に入ってからは新日マットで反選手会同盟、平成維震軍で活躍した。WEB報知では、「“虎ハンター”小林邦昭ヒストリー」と題し、記憶に残る名選手のレスラー人生を辿る連載を展開する。第12回は「ロスで聞いた空前のタイガーマスクブーム」(福留 崇広)  1982年にメキシコからロサンゼルスへ渡った小林邦昭は、日々、自らの試合に無我夢中で日本マットの情報には、ほとんど興味も抱かなかったという。当時は、インターネットもなければ、携帯電話もない時代。日本の情報を得る手段は、レスラー仲間の話か日本から数週間に1度、送られてくる雑誌などで事実上、ほとんど入ってこなかったに等しい状態だったという。  そんな時、専門誌へ情報を提供している現地の記者に「今、日本は凄いことになってますよ」と教えられた。「凄いこと」を巻き起こしていたのが、タイガーマスクだった。  「ロスにいた専門誌の特派員みたいな記者の人がに“凄いです。凄いです。今、日本でタイガーマスクがすごいですよ“って興奮しながら言われたんですね。そんな話を聞いた後に、日本からグラン浜田さんがロスに来て、浜田さんも“タイガーマスクは凄いぞ”って言うんですよ。それだけじゃ、どれぐらい凄いのかわからなかったんで“どれぐらい凄いんですか?”って聞くと浜田さんは、“そりゃ、お前、とにかく凄いんだよ”。って言うだけでね(笑)。タイガーマスクがデビューしたことは、雑誌を見て知ってましたけど、こっちは、テレビも見られないから、凄い凄いって言われてもどれほどのものか分からなかったんですね」  タイガーマスクは、小林と若手時代に熱戦を繰り広げた1年後輩の佐山サトルが覆面をかぶって変身したレスラーだった。1981年4月にをテレビ朝日がアニメ「タイガーマスク二世」を放送すると同時に原作者の梶原一騎が「実在の選手を登場させ、アニメと同時進行で展開させたい」と発案し、新日本プロレスの専務取締役営業本部長の新間寿に相談。快諾した新間は社長のアントニオ猪木とタイガーマス

続きはこちら

(2020/10/12)