「天才少年から失業者へ」元バルサの“クロアチアのメッシ”は、なぜ24歳で無所属になったのか?「サンペールらの世代が…」(SOCCER DIGEST Web)

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 かつての“天才”が、まさかの境遇に陥っている。“クロアチアのメッシ”とも評されたアレン・ハリロビッチだ。 【動画】“クロアチアのメッシ”と評されたハリロビッチの超絶テクニックはこちら  10月5日にミランとの契約が解除となった24歳のMFは現在、フリーの状態で所属先を探している。この歳でこんな状況になるなど、思ってもみなかっただろう。9日付けのスペイン紙『AS』は、「天才少年から失業者へ」と題して、ハリロビッチのこれまでのキャリアを振り返っている。  クロアチアの名門ディナモ・ザグレブの下部組織出身で、2012年にクラブ史上最年少の16歳101日でトップデビューを果たした俊英は、その11日後に初ゴールを決め、チームの最年少得点記録も更新。さらに、翌年の6月には、16歳11か月23日でクロアチア代表の最年少出場記録も塗り替えるなど、“神童ぶり”を見せつけていた。 「同胞のルカ・モドリッチやイバン・ラキティッチよりも上」(AS紙)とも評されたレフティーは、14年夏にスペインの強豪バルセロナに引き抜かれる。そして、Bチームでプレーしながら、翌年1月のコパ・デル・レイでトップデビューを果たすなど、ここまでは順風満帆、かに思われた。  だが、セルジ・サンペール(現ヴィッセル神戸)やアレハンドロ・グリマルド(現ベンフィカ)などもいたこの時のBチームは、スペインの2部から2部B(実質3部)に降格するなど、「最高の世代とは言えなかった」ため、ハリロビッチはそのせいで自身のトップデビューも遅れたと考えていたという。  クラブとのトラブルもあり、翌年のスポルティング・ヒホンへのレンタルを経て、16年夏にドイツのハンブルクに完全移籍すると、順調だったキャリアは暗転。その後もラス・パルマス(レンタル)→ミラン→スタンダール・リエージュ(レンタル)→ヘーレンフェーン(レンタル)と渡り歩いたが、いずれも結果を残せなかった。 「18年にミランに移籍して再起を図ろうとしたが、イタリアでもうひとつの壁にぶち当たった。セリエAでは1分もプレーできなかった」と記事は綴っている。  スタンダールでもクラブとうまくいかず、「彼らは会話もなく、約束を守らなかった。嘘つきだ」と地獄のような日々だったことを打ち明けたハリロビッチ。復活を期したヘーレンフェーンでは、コロナウイルスの影響でリーグが早

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(2020/10/11)