橋本武徳前監督が死去 天理を2度甲子園Vに導く(日刊スポーツ)

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天理(奈良)を2度の全国制覇に導いた橋本武徳(はしもと・たけのり)前監督が9日午前9時57分、下行結腸がんのため奈良県天理市の自宅で亡くなった。75歳だった。橋本前監督は86年夏の甲子園で、中村良二主将(現天理監督)らと初優勝。90年夏も2度目の頂点に立ち、天理を全国区の強豪校に育て上げた。 奈良県天理市出身。天理では外野手として62年夏の甲子園に出場した。その後法大を経て、82年5月に母校の監督に就任。翌83年夏に、指導者として甲子園に初出場した。自主性を重んじ、のびのびと力を発揮させる指導で86年初優勝。大会後に退任も90年5月に復帰し、同年夏に2度目の全国制覇を果たし、91年に退任した。 火中の栗を拾い続けた。初采配の82年、2度目の90年も、ともに前監督の辞任を受けて監督となった。11年は部内暴力で奈良大会への出場を辞退し監督、野球部長が辞任したチームの再建のため、66歳で再びユニホームを着た。翌12年は春夏連続で甲子園に出場し、夏は8強に進んだ。 後進の育成にも尽力した。中村現監督を14年2月にコーチで呼び戻し、15年8月に監督を交代。退任後も中村監督を支え、17年夏の甲子園で初陣に臨む教え子を「お前が笑っていれば、勝てる」と励ました。恩師の言葉を支えに中村天理は4強入り。天理復活を印象づけた。強い絆で結ばれた師弟だった。

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(2020/10/10)