“虎ハンター”小林邦昭ヒストリー<10>「フィッシャーマンズ・スープレックス誕生秘話」(スポーツ報知)

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 1980年代前半に初代タイガーマスクと激闘を展開し“虎ハンター”と呼ばれた小林邦昭氏(64)が2000年4月21日に引退してから今年で20年となった。1972年10月に旗揚げ間もない新日本プロレスに入門。タイガーマスクとの抗争、全日本プロレスでは三沢光晴の2代目タイガーマスクと対戦、さらに平成に入ってからは新日マットで反選手会同盟、平成維震軍で活躍した。WEB報知では、「“虎ハンター”小林邦昭ヒストリー」と題し、記憶に残る名選手のレスラー人生を辿る連載を展開する。第10回は「フィッシャーマンズ・スープレックス誕生秘話」(取材・構成 福留 崇広)  1980年、24歳になった小林邦昭は、メキシコへ初めての海外遠征へ旅立った。メキシコでは、慣れない空中殺法を覚え、さらに蹴りの練習にも取り組むなど後の小林を形作るスタイルの下地を固めていた。  「蹴りは、若手のころからやっていたんですが、半分以上はメキシコにいる時に学びました。キックボクシングとか空手のジムに通ったんじゃなくて、サンドバックを自分で買って部屋で蹴ったりしていたんです。だから、独学で見よう見まねですね。イメージしたのは当時、極真空手で活躍していた(ウイリアム)オリバーですね。彼の蹴りを見て、参考にしました。あとはブルースリーです。メキシコへ行く前に映画を見に行って、後ろ回し蹴りをバンバンやってたんで“これが、できたらかっこいいな”って思ってそっから蹴りをやるようになりました」  他には、アントニオ猪木が異種格闘技戦で闘ったキックボクサーのモンスターマンも憧れた。猪木とモンスターマンは、1977年8月2日に日本武道館、78年6月7日に福岡スポーツセンターで2度、対戦しいずれもセコンドで小林は、間近でモンスターマンの蹴りを目撃した。  「モンスターマンの跳躍力と蹴りの早さはすごかったですね。猪木さんの格闘技戦の中で3本の指に入るのがモンスターマン戦だったと思います。あれを見て蹴りをやろうと僕自身が触発されたところもありました」  ソバット、回し蹴りなど蹴りを多用する小林のスタイルは、メキシコで培われた。そして、代名詞となる必殺技「フィッシャーマンズ・スープレックス」を見いだす。  「フィッシャーマンはメキシコへ行って2年目で覚えました。エルトレオっていうドーム型の会場の第1試合で若い選手の試合を見て

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(2020/10/10)