【書評】北朝鮮危機に直面した前自衛隊トップの自叙伝的防衛論:河野克俊著『統合幕僚長』(nippon.com)

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元海軍士官、戦後は海上自衛隊幹部だった父の影響もあり、防衛大学校を目指した。高校時代に担任の先生には「防大受験なんて、気は確かか」と言われた。学生運動が華やかだったころで、権力側とされた自衛隊は目の敵にされていた。 補欠合格で防衛大生となった1973年には、北海道の自衛隊基地をめぐる「長沼ナイキ訴訟」の一審判決で、自衛隊違憲の判断が下される。自衛隊には不遇の時代が続いた。 海上自衛隊幹部候補生学校を首席で卒業し、北米コースの遠洋練習航海の後、水上艦艇乗りとなった。乗員120人ほどの護衛艦艦長などを経て、1996年に米海軍学校に留学。クラスには37か国の大佐クラスが集まっていた。 「21世紀の日米同盟」について書いた卒業論文が、最優秀論文賞に選ばれた。日本の安全保障上の役割を拡大して、日米が「リスクを共有」する真の同盟関係にという、18年後に成立する「平和安全法制」を先取りした内容だった。 帰国後は、防衛庁と現場(海上)勤務を繰り返し、順調に昇進を重ねたが、海上幕僚監部防衛部長だった2008年、弾道ミサイルに対応できるイージス艦「あたご」と漁船が房総半島沖で衝突。沈没した漁船の船長ら2人が行方不明となり、海上自衛隊は非難を浴びた。大量の懲戒処分が行われ、著者の河野氏は更迭された。処分を受けた者は2年間昇任がないと聞かされていたので、今度の配置が最後になるだろうと思っていた。 だが、人生には色々なことが起きる。半年後、航空自衛隊トップの田母神俊雄航空幕僚長が、政府見解と異なる内容の懸賞論文を書いたことで解任された。その玉突き人事で昇任し、護衛艦隊司令官となった。「運としか言いようがない」と河野氏は吐露している。 2012年、海上自衛隊トップの海上幕僚長となった。この年の12月、第2次安倍政権が発足した。「安倍首相が最も信頼する自衛官」と言われた河野氏は、14年に第5代統合幕僚長に就任。3度の定年延長を重ね、安倍政権の安全保障政策を支えた。

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(2020/10/05)