クイーンをロックスターへと押し上げた名盤『オペラ座の夜』(OKMusic)

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70年代初頭、ど派手なメイクとエキセントリックな衣装に身を包んだ、デビッド・ボウイやマーク・ボラン(Tレックス)などの一群のミュージシャンたちが登場した。彼らはグラムロックやグリッターロックと呼ばれ、個々の音楽性はまったく異なっていたものの、外見に共通性があったために同類として扱われたようだ。彼らが手本にしたのは、すでに世界的な人気があったアメリカ人ミュージシャンのアリス・クーパーであろう。僕が中学生の頃、アリス・クーパーのLP『スクールズ・アウト』(‘72)では、レコード盤が紙製のパンティに包まれていた。何にも知らず、買って帰って開封した時の驚きは、今でもはっきり覚えている。 他にも、モット・ザ・フープル、ロキシー・ミュージック、ニューヨーク・ドールズなど、グラムロッカーが次々と現れ、グラムロックのブームは3~4年の間ではあったが、確実に世界的な市民権を得た時期があったのである。70年代中期、パンクロックが登場してからは急速に廃れていったグラムロックだが、80年代に入ってから復活の兆しが見られ、海外ではアダム・アント、ニナ・ハーゲン、ボーイ・ジョージらに引き継がれ、日本においてはビジュアル系ロックとして独自の進化を遂げることになった。 グラムロック全盛期に、アルバム『戦慄の王女(原題:Queen)』(‘73)でデビューしたのがクイーンであった。当時は音楽雑誌の『ミュージックライフ』にグラビアがしょっちゅう掲載され、“ハンサム揃いの正統派ハードロッカー”みたいなコピーで紹介されていたから、新しいグラムロックのミュージシャンとして聴いていたリスナーが少なくなかった。先ほども述べたように、グラムロックという呼び名は音楽性ではなく、衣装や化粧による同類性によるものであるので、メンバーのフレディ・マーキュリーの醸し出すグラマラスな雰囲気から、グラムロッカーとみられることも不思議ではなかったのである。 アイドル的な売り出し方というのもあって、本国よりも最初に大きな人気が出たのは日本やアメリカであった。特に日本での人気は爆発的であったと僕は記憶しているが、2枚目の『クイーン II』(‘74)までは、独特の多声コーラスや練り上げられた楽曲群の魅力は感じられるものの、個人的にはレッド・ツェッペリンを範とするブリティッシュハードロック・グループのひとつに過ぎなかったという気もす

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(2020/10/04)