【イタリア製のオープン・リムジン】フィアット2800ロイヤル・トーピドー 後編(AUTOCAR JAPAN)

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text:Martin Buckley(マーティン・バックリー) photo:James Mann(ジェームズ・マン) translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)   1938年から1944年にかけて、クローズドボディのフィアット2800は約600台が製造された。内務省の規定に合わされたリムジンは、288台が作られている。 【写真】フィアット2800とロールス・ロイス (50枚) さらに国家の最高要人用として、12台の2800がオープントップ・ボディで仕立てられた。手掛けたのはピニンファリーナで、トルピード・レアーレ(ロイヤル・トーピドー)と呼ばれる。今回ご紹介するクルマだ。 2800ロイヤル・トーピドーは、すべてがインペリアル・ブラックという特別色で塗られ、ピレリ製のアンチ・パンクタイヤを履いた。ヒトラーとムッソリーニは、このオープンの2800へ乗りローマをパレード。1台はスペインの独裁者、フランコ将軍へ贈られた。 イタリアとしては、壮大なサルーンを友好国へプレゼントすることは、1つの命題でもあった。ヒトラーは、770グロッサーをムッソリーニに届けていた。 2800は、イタリア王室でも広く使用された。12台のパレードカーのうち、6台には王室が飼う馬にちなんで名前が付けられた。オーガスタレにアウスピカレ、アミカレ、アルチェステ、アドメント、アルキノオ。ナンバープレートも、順番に与えられている。 その中で、シャシー番号000267のアルキノオは、当初ウンベルト王子のために確保された。しかし、ヒトラーや日本の昭和天皇、ナチス外務省などの移動にも登用。1940年から1943年にかけては、ムッソリーニが独占して使用している。 戦争が終わると、アルキノオはローマの所有へと移管。1946年からはイタリア共和国の車両となっている。

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(2020/10/04)