アメリカを代表するハーレー用パフォーマンス・パーツメーカー 「S&Sサイクル」の歴史を改めて振り返る【パート3】(バイクのニュース)
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奇しくもそんな時代である1981年に創業者のジョージ“J”スミスが他界し、息子のジョージ“B”スミスにS&S社が受け継がれることになるのですが、このセカンド・ジェネレーションの時代こそがビジネス的にも技術的にもS&Sが飛躍的に発展を遂げた時期といえるかもしれません。
ジョージ“B”スミスは最初にデザインした“スーパーDキャブレター”を1983年に発表し、同年から最高速を競うランドスピード競技に参戦する同社のレーサーである“TRAMPIII”にプロトタイプを装着した“ショーティーキャブ”を1991年に開発。
2004年の時点でベンチュリー内径47.6mmの“スーパーE”と、それよりも大径の52.3mm“スーパーG”が累計で50万セットの売上を記録したのですが、これは“スーパーD”以前の砂型によるキャスティングを金型のダイキャストへ変更したことが大きかったとのことで、生産効率が上がり、コストが下がったため、年間で5000セットが限界だったキャブの生産量が年間4万へ増加したそうです。
また、このキャブが生み出された素地として父であるジョージ“J”スミスの時と同じようにジョージ“B”スミス時代もS&S社は積極的にレース活動を行うのですが、その記録を簡単に羅列すると、まずは1983年に塩水の増加の影響でボンネビルスピードウィークが中止となった代わりにネバダ州のブラックロック・デザート(砂漠)で開催されたランドスピードレースにエントリー。
この時からライダーは73年に入社したダン・ケンジーが務め、クルーもジョージ“B”スミス、フロイド・ベイカー、シド・スミス、ヴァンス・ブリーズなどの新世代のエンジニアとジョージ“J”スミス時代からのデニス・マニングという体制にシフトし、1985年には最高速の聖地であるユタ州ソルトレイクのボンネビルにカムバックを果たすことになります。