美人経営者は「モラハラ男製造機」!?失敗の理由と改善方法(Suits-woman.jp)
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元夫は「恭子を良い方向に導こうとしただけ」と、離婚は絶対にしないと言いましたが、ご両親と敏腕弁護士のタッグにより慰謝料も財産分与もなしで、親権は恭子さんということで、離婚が成立。
恭子さんと娘は、しばらく恭子さんの実家で生活することになったのでした。
離婚が成立し、当面の生活の拠点として実家暮らしができるとはいえ、働かないわけにはいきません。しかし就職活動は苦労の連続です。まだ乳幼児の娘のことは、両親も手伝ってくれていますが、履歴書の段階で門前払い。幼い娘がいるというと、「失礼します」と電話を切られたこともあったとか。
恭子さんは当時のことを、「シンママ(シングルマザー)に世間の風は冷たかった」と振り返ります。そして「このまま就職できないなら。いっそのこと、自分で初めてみればいいと思ったのです」と加えました。
そして、恭子さんは、実家の一部を改装してネイルサロンをオープンしたのです。
恭子さんはいくつかの通信講座を受けており、ネイリストの資格を持っていました。
かつての同僚から、ネイルサロンの経営者を紹介してもらったり、勉強会に参加したりして、1か月間不眠不休で働いて、サロンをオープン。
もともと商売の才覚が恭子さんにはあったのでしょう。住宅街の片隅で、住宅の一部を改装しただけの地味なネイルサロンでしたが、SNSでの口コミが広がり、すぐに繁盛店に。
やがて駅前のビルにサロンを移すと同時に、人も雇いはじめ、最初にオープンしてから3年目にして近隣に店舗を4つも出店するほどの規模になっていったのでした。
それまで、地元では、出戻り娘が何か怪しげなことをはじめていると冷ややかな視線を浴びつつ、陰口を言われることも少なくありませんでした。
しかし、ネイルサロンの経営が軌道に乗り始めてからは、恭子さんのことを悪く言う人はいなくなりました。
そんなときに恭子さんが出会ったのが、外資系保険会社で外交員として働く雅也さん(仮名・38歳)だったのです。
知人の経営者から、「経営者向けの保険に入っていた方がいいよ」と紹介され、指定のカフェに行くと、いかにも外資系の保険外交員という姿の雅也さんがいました。高身長にがっしりした筋肉、ビシっとしたスーツを身にまとった、爽やかなイケメンでした。
雅也さんは、恭子さんに役立ちそうな保険プランの案を用意してくれていました。も