『ドラクエ4コマ』三剣もとか先生インタビュー デビューから「引退宣言」までの思い(マグミクス)

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「ドラゴンクエスト」シリーズの世界をギャグマンガにした『ドラゴンクエスト 4コママンガ劇場』(以下、ドラクエ4コマ)は、1990年に当時のエニックス社の出版部門から第1巻が発売されました。その後も高い人気を受けて続刊が発売。「月刊少年ガンガン」や「Gファンタジー」「月刊少年ギャグ王」といったマンガ雑誌が発行され、掲載作は一部で「ガンガン系」とも呼ばれて熱烈なファンを得ました。 【画像】三剣もとか先生のイラストを見る 『ドラクエ4コマ』は、すでに活躍しているプロの漫画家だけでなく、読者投稿の企画「ドラクエ4コマクラブ」から人気作家が生まれることにも特徴がありました。  投稿を経て、プロ作家としてデビュー。端正でかわいらしい絵柄と笑いで高い人気を誇りながら、「引退宣言」で表舞台を去った三剣もとか先生に当時の思い出を語ってもらいました。 * * * ーー『ドラクエ4コマ』を投稿し始めたきっかけはありましたか? 『ドラクエ4コマ』の前から、マンガを描かれていたのでしょうか。  デビュー作の『ドラクエ4コマ』9巻の楽屋裏で少し描いてますが、「失業手当で買ったスーファミ本体」「姉から借りた『ドラクエV』のソフト」「当時読んでいた『月刊少年ガンガン』」がきっかけでした。  高卒で就職した会社を体調不良で退職した後、新聞配達やスーパーのPOP描きなど複数の短時間バイトをしていてゲームする時間があったのと、「ガンガン」本誌で見かけた「ドラクエ4コマクラブ」がスライム賞で5000円、キングスライム賞で1万円という魅力的な募集をしていたので、おこずかい稼ぎにちょっと描いてみようかなと(笑)。  あと元々マンガやイラストなど雑誌に投稿するのが趣味だったのであまり抵抗なく投稿してました。  マンガ歴としては、3~4歳くらいから絵ばかり描いていて、コマ割りマンガらしきものを描いたのは小学3年生頃。中学で初めてアニメのパロディマンガのコピー本を作りました。高校でアニメ『聖闘士星矢』にハマり同人活動も始めていました。おかげでマンガの画材など先にそろっていましたが、マンガ描きとして色々と勉強になったのは圧倒的にデビューした後からの方が多いですね。 ーープロデビューした経緯を教えて下さい。どのように編集部から連絡が来ましたか?  これも同じく9巻の楽屋裏で少しふれてますが、編集部

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(2020/09/30)