映画がみたベトナム戦争 「プラトーン」食事は缶詰、夜は監視…実戦さながらの過酷撮影(夕刊フジ)

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 【終結45年 映画がみたベトナム戦争】  今年はべトナム戦争終結45年に当たる。泥沼化した悲惨な戦いは、1960~70年代において、米国のカルチャーまで変えた。この戦争を映画はどう描いてきたのか。  ベトナム戦争映画といえば、やはり「プラトーン」だ。  クリス・テイラー(チャーリー・シーン)は貧困や差別が横行する現実に憤る若者。愛国心から大学を中退すると米陸軍に志願入隊した。だが、ベトナムの戦場で見たものは、正義など通用しない世界だった…。  フランシス・フォード・コッポラ監督の「地獄の黙示録」やマイケル・チミノ監督の「ディア・ハンター」のリアリティー不足に不満を抱いたオリバー・ストーン監督が、自身の体験をもとにベトナム戦争のリアルな最前線を描き出した。  600万ドルの予算だったが、公開すれば1億3800万ドルという興行収入をあげる大ヒット。ストーン監督とチャーリー・シーンを一気にスターダムへと押し上げた。  プラトーンというのは軍隊の編成単位で30~60人ほどの小隊を指す。  当初はチャーリー・シーンの兄、エミリオ・エステベスが主演予定だったが、ギャランティーの問題がクリアにならず、キアヌ・リーブスやカイル・マクラクランにも断られたため、チャーリーにお鉢が回ってきたという。冷酷なバーンズ軍曹にはケビン・コスナーの名も挙がっていた。  さらにガーター・ラーナーという通訳兵役でまだ無名だった22歳のジョニー・デップも出演している。最初オファーを受けたとき、デップは「無名だから」と辞退したが、ストーン監督が「君には大物になる素質がある」と背中を押してくれたそうだ。監督という人には先見の明があるのだろう。  戦場ではゲン担ぎでヘルメットに人の名を書く兵がいたが、デップも当時恋人だった女優のシェリリン・フェンの名を書いている。  村を焼き打ちして、隊が移動するときに携帯した銃は日本のMGC製のM16自動小銃のモデルガンが使われたという。  撮影はフィリピンのルソン島で行われ、全員GIカットにされ、シャワーも認められず、食事は缶詰だけ。夜も実戦さながら交代で監視をやらされたという過酷さだったという。ストーン監督自身も第1中隊少佐役で出ている。 (望月苑巳)  ■プラトーン オリバー・ストーン監督。日本公開は1987年4月29日。第59回アカデミー賞

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(2020/09/30)