あのブラジル人J戦士はいま【第7回】マルキーニョス――“外国人最多得点男”が牛3000頭を飼育する牧場経営者に転身「日本のおかげで…」(SOCCER DIGEST Web)

【リンク先抜粋】
 Jリーグで外国人として最も長くプレーした(途中も含めて15シーズン)マルキーニョは、最も多くの試合に出場し(333試合)、最も多くの得点(152点=9月20日時点で、日本人を含めても歴代5位)を記録した。 【PHOTO】マルキーニョスも受賞!その年を華やかに彩ったJリーグ歴代MVPを一挙紹介!(1993~2019)  決して大柄ではないが、屈強で、技術レベルが高く、スペースへ走り込むのが巧み。右利きだが、左足でも決められ、空中戦にも強いオールラウンドタイプのストライカーだった。  得点パターンが多彩で、オーバーヘッドやボレーで華麗に決めるかと思えば、ゴール前で強引に身体を捻じ込んでの泥臭い得点も多かった。  その一方で、エゴイストではなかった。チームメイトへのアシストも多く、前線での献身的な守備でも貢献した。  常に勝利を目指してひたむきにプレーしたから、日本で所属した7クラブのどこでもチームメイトから信頼され、サポーターからも愛された。  こんな外国人選手は、今後もなかなか出てこないかもしれない。  ブラジル南西部マトグロッソドスル州の小都市の出身。子供の頃からボールを蹴るのが大好きで、12歳で地元のクラブに入り、18歳でパラナ州の小クラブへ。22歳のときかつて三浦知良(現・横浜FC)もプレーしたコリチーバへ移籍し、レギュラーとして活躍した。2001年7月、25歳のときに東京ヴェルディからオファーを受けて「ほとんど何も知識がなかった」(本人)日本へ渡り、貴重なゴールをあげて1部残留に貢献した。  2003年に横浜F・マリノスへ移り、Jリーグ優勝に貢献。2004年はジェフユナイテッド市原で絶好調だったが、9月末に左アキレス腱を断裂して手術。2005年から清水エスパルスで再びゴールを量産した後、2007年から鹿島アントラーズでプレーした。  鹿島では、在籍4シーズンの間、常にチーム内得点王で、Jリーグ3連覇に大きく貢献した。とりわけ、2008年は21得点をあげてリーグ得点王に輝き、MVPにも選ばれた。  2011年にベガルタ仙台へ移ったが、東日本大震災に見舞われて大きなショックを受け、4月に退団。母国へ戻り、短期間、アトレチコ・ミネイロでプレーした。  しかし2012年に日本へ戻り、横浜マリノスで2シーズン、ヴィッセル神戸でも2シーズン在籍して

続きはこちら

(2020/09/30)