ハンセン病国賠訴訟の第1次原告団 山口トキさん死去(MBC南日本放送)

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元ハンセン病患者で、ハンセン病国賠訴訟の第1次原告団の一人、山口トキさんが、26日未明、亡くなりました。98歳でした。 山口トキさんは、1922年、鹿児島県生まれ。31歳の時に鹿屋市の国立ハンセン病療養所星塚敬愛園に強制隔離されました。 ハンセン病は、感染力が弱い病気ですが、顔が崩れたり手足が曲がるなどの後遺症が残るため、患者や家族は、長年激しい差別の対象となりました。国は患者を強制的に隔離する誤った政策をとり、強制隔離は1996年に「らい予防法」が廃止されるまで続きました。 山口さんは、1998年に国の隔離政策の違法性などを問い国を訴えたハンセン病国賠訴訟で、13人の第1次原告団に名前を連ねました。「人間としての尊厳の回復」を求めた裁判は全国に広がり、2001年に元患者側が勝訴しました。 (山口さん 2001年)「私たちの願いが叶いました。国が認めてくださいました。本当にありがとうございました」 山口さんは、26日未明、星塚敬愛園の自室で亡くなりました。98歳でした。原告団の事務局長を務めた竪山勲さん(71)は、苦しい境遇にいても山口さんは明るかったと人柄をしのびました。 (ハンセン病国賠訴訟全国原告団協議会 竪山勲事務局長)「トキさんは目が見えない。原告団の中でも、一番多くの障害を抱えた原告だった。自分の受けた被害の実体をきちんと語っていただいて、その実体そのものが、壮絶な被害だったので、みなさんの心の中に刻み込まれたのだと思う」 通夜・告別式は、星塚敬愛園と自治会の関係者らで執り行われました。後日、偲ぶ会が開かれる予定です。

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(2020/09/28)