中世東アフリカに開花した「世界で最も美しい町」、世界遺産キルワ(ナショナル ジオグラフィック日本版)

【リンク先抜粋】
 タンザニア沿岸から約2キロ離れたキルワ・キシワニの島には、見事な遺跡群が密集している。サンゴ石を使った宮殿や大モスクの跡は、この小島が東アフリカにおける金交易の拠点だった時代の名残だ。 ギャラリー:世界遺産キルワ遺跡、インド洋金交易で開花 写真6点  中世に栄えたキルワは、スワヒリ海岸と呼ばれる沿岸に並ぶ交易都市群の中心だった。「スワヒリ」は「沿岸に住む者」を意味するアラビア語に由来し、今ではこの一帯で使われる言語の名称にもなっている。  スワヒリ語は、以前から一帯で話されていたバンツー語に、ペルシャ語やアラビア語の単語を取り入れた言語だ。アラブやペルシャの慣習は、スワヒリの建築や芸術、そして宗教にも反映されている。いずれにおいても、混じり合ったこれらの文化の面影が強く見て取れる。  スワヒリ海岸とイスラム文化圏のつながりは、19世紀ヨーロッパの植民地主義者がキルワに抱いた偏見を補強した。1859年にキルワを訪れた英国の探検家リチャード・バートンをはじめ、ヨーロッパの学者たちは、アフリカ人は非アフリカ人に対し「劣っている」との考えから、石でできたこの都市をアフリカ土着の文化が作れたはずはないと信じ込んだ。つまり、キルワは全て外部から来た人々によって作られたに違いないと主張したのだ。  近年の考古学的発見によって、実態はもっと複雑だったことがわかっている。キルワをはじめとするスワヒリ海岸の交易都市は、東アフリカの土着の文化を強固な基盤として、様々な影響が絡み合って発展したものだったのだ。

続きはこちら

(2020/09/27)