グループAの勝利のカギ、その答えは最強のツーリングカーBNR32“GT-R”だった!|日産グループAジェネレーション Vol.3(Nosweb.jp)

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日産グループAジェネレーション Vol.3 日産が、グループAレースに投入したDR30スカイラインRSターボ。 グループA車両としてGT-Rの戦闘力を決定付けたRB26DETT型エンジンやコクピットなど【写真4枚】  4バルブDOHCエンジンにターボチャージャを装着。世界的にも類を見ない高性能メカニズムを持ち「史上最強のスカイライン」をうたう性能自慢のモデルだった。それだけにこのクルマに対する期待は大きかったが、シリーズが始まってみるとBMW、時としてクラス下のカローラやシビックに先行される場面も往々にしてあった。  スカイラインが遅いというより、基本メカニズムから予測されるレーシングパフォーマンスが引き出せない状態のように見えていた。逆にBMW(635csi)やカローラ(AE86)は、すでにETCで積み重ねた実績があり熟成度が違っていた。それだけにDR30も熟成待ちと思わせていたが、85/86年の2シーズンの使用期間を経て、ついに期待される戦闘力にまではいたらなかったのである。  一方、JTCが始まった年の8月に登場した31系スカイラインは、すぐに4ドアベースのグループA車両が発表されたものの参戦は見送られ、HR31がデビューしたのは2年後の87年11月のインターTECだった。HR31の基本モデルでは戦闘力に欠けるため、マイナーチェンジ期(87年8月)に800台限定のグループA対策車「GTS‐R」を追加投入し、これで戦う準備を整えていたのだ。  GTS-Rは、タービンサイズなどグループA規定では変更が許されない個所のいくつかに対策を施したモデルで、車両を企画・生産する日産自動車がモータースポーツ規定を前提に対策を施した量産モデルとなっていた。  88年と89年の2シーズンでフルシーズン参戦の形をとり、89年には写真の長谷見昌弘車(リーボックスカイライン)がフォードシエラ勢の間隙を縫ってタイトルを獲得する成果を挙げていたが、根本的に競技車両としての基本設計が施されていなかったHR31スカイラインにとって、これは上出来ともいえる結果だった。  また、すでにベース車両が存在する状態での追加対策という手法で、ここまで戦えたという読みと自信は、次世代モデルの基本設計に対して大きなプラス材料として働いた。とくに強力なパワートレーン系を支える基本骨格、モノコック

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(2020/09/27)