吉田栄作、人気絶頂のタイミングでの渡米の真意を語る「自分の意思で人気を手放したかった」(TOKYO FM+)

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坂本:吉田栄作さんは1988年に俳優デビューを果たしまして、1989年にドラマ「君の瞳に恋してる!」に出演されて話題になりました。1989年には歌手デビューもなさっていて、俳優だけでなく歌手としても成功されていまして、ツアーでは動員数が2万人を記録しました。しかし、そのツアーを終えられた直後にロサンゼルスに渡られました。当時、26歳だったのですね。 吉田:そうですね。1995年だったと思います。 坂本:人気絶頂のタイミングでスパッと新たな道を歩まれたのですね。当時はどういうお気持ちだったのでしょうか。 吉田:実は、僕のなかではスパッとした決断ではなかったんですよ。デビューして4年ぐらい経ったときに、経験とか勉強とかをきちんと踏まずに活動を続けていることに対して悔やんでいたんです。当時の自分は、自身を強く見せるために活動をしていた部分もあったので、22歳ぐらいのときに「どこかのタイミングで休んで、帳尻合わせをしたいな」と思っていたんです。 坂本:22歳で。はやいですね。 吉田:ただ、それでいきなり「明日から休みます」というのは現実的ではないなということもわかっていたんですね。そんなことを考えながら活動をしていくなかで、24歳のときに仕事でロサンゼルスに訪れる機会があったのですが、そのときに「ここに滞在したいな」と思うようになったんです。空気感もいいし、勉強できるし、俳優としての挑戦もできる。心も体も休められそうだなと思ったので、26歳で渡米を決意しました。22歳からの4年間は無駄遣いをせず、渡米の準備資金を貯めていました。 坂本:そうだったんですね。人気絶頂というポジションに溺れることなく、ロサンゼルスに滞在するという決断を下せたのはどうしてだったのでしょうか? 吉田:いつか人気はなくなるものだという思いは持っていたんです。だからこそ、自分の意思で人気を手放したかったんです。 坂本:なるほど。ロサンゼルスに行かれてからは、かなり堅実な生活を送られたとお聞きしました。 吉田:持っていけるお金が1万ドルぐらいだったので、そうせざるを得ない状況でしたね。5,000ドルのジープを買って、所持金がいきなり半分になりました。800ドルの家賃の部屋を借りて、家具はIKEAで買いました。もちろん自分で組み立てましたよ(笑)。 坂本:当時はミュージシャンとして個人的

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(2020/09/24)