「ロナウドとラモスがPKを外したんだ…」モウリーニョが選ぶ“最悪の瞬間”はマドリー時代? 「欧州最高のチームだった」(SOCCER DIGEST Web)

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 通訳からキャリアをスタートし、アシスタントコーチを経て、トップクラブの指揮を執り、欧州最高峰の舞台を制して、世界有数のカリスマ指揮官として確固たる地位を築いた。トッテナム・ホットスパーを率いるジョゼ・モウリーニョは、約30年にわたって様々な経験をしてきた。 【PHOTO】ビッグディールが続々成立!2020年夏に新天地を求めた名手たち  そのカリスマ監督にとって、もっともつらかった出来事のひとつは、レアル・マドリー時代にチャンピオンズ・リーグ(CL)で敗れたときだという。ラ・リーガで4年ぶりに優勝した2011-12シーズン、バイエルンとの準決勝でPK戦の末に敗退したときのことだ。  スペイン紙『Marca』によると、モウリーニョは母国ポルトガルの『Sic』で「最悪の瞬間を選ぶとしたら、マドリーでの敗退だ」と話した。 「我々は疑いなく、欧州最高のチームだった。勝点(100)やゴール(121)などあらゆる記録を更新した。あの時にファイナルに進んでいれば、勝っていたはずだ。疑いの余地はない。さらに残酷なのは、我々がPKのキッカーにクリスチアーノ・ロナウド、カカ、セルヒオ・ラモスを選んでいたことだ。PKで絶対に確実な保証だったが、彼らが決して外さないPKを失敗したんだよ」  さらにモウリーニョは、「(チェルシー時代の)リバプール戦(での敗退)も、今ならVARで認められないゴールだった」と話しながらも、しみじみと続けている。 「だが、マドリーのほうがよりつらかった。あっちのほうがキツかったよ」  その翌年、モウリーニョはマドリーの指揮官を退任。代わって就任したカルロ・アンチェロッティの下で、エル・ブランコは2013-14シーズンのCLを制し、悲願だったデシマ(10度目の欧州制覇)を成し遂げている。  一方、“スペシャル・ワン”はチェルシーに復帰してプレミアリーグを再び制し、その後マンチェスターユナイテッドではヨーロッパリーグでも優勝した。しかし、バイエルンとのPK戦で勝っていたら、マドリーとモウリーニョの歴史は変わっていたのだろうか。 構成●ワールドサッカーダイジェスト編集部

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(2020/09/24)