【古都の名水散策】阿波徳島の発展を支えた眉山の湧水(金竜水・桐の水)(サライ.jp)

【リンク先抜粋】
「眉山湧水群」の中でも、特に水質が良いとされているのが「錦竜水」です。この「錦竜水」は、江戸時代、阿波藩主蜂須賀公がご愛飲された名水でありました。今では誰でも自由に汲み飲むことができますが、江戸時代は徳島藩によって厳重に管理されていました。 「錦竜水」のある寺町の一角には、水番所なるものが設置され保護・管理されるとともに、徳島城内へ水を運ばせていたという史実があります。「錦竜水」の歴史は古く、江戸時代前期の延宝4年(1676)には、藩が水売り人16人を限定していたとの記録も残っています。こうした「水売り」という生業は、上水道が整備される大正15年(1926)頃まで、行われていたようです。 明治時代には、水桶を積んだ車を引く水屋が市中を廻る風景が見られ、家々では軒先に「水入用」の木札を出して水を買い求めていたとのことです。こうした史実からも「錦竜水」が、いかに人々の生活に深く根ざした水であったかがわかります。 「錦竜水」の水質の良さ、美味しさについては、いくつもの逸話があります。その一つが、明治41年(1908)の皇太子行啓の折に、御料水として選ばれた記録があるほどですから、折り紙付きといってもよいでしょう。カルシウムイオンやマグネシウムイオンなどを多く含む硬水(硬度78.3ppm)で、とくしま市民遺産にも選定されています。 昭和51年頃に、眉山の土砂崩れの影響などでいったん水脈が途絶えた時期がありました。「名水阿波錦竜水保存会」が復旧工事を行ない、昭和62年8月に蘇っています。 もう一つ阿波徳島藩とゆかりの深いのが、「桐の水」です。「桐の水」は、「眉山湧水群」の中でも最も高い位置に水源があり、藩主である蜂須賀公が、茶の湯に使用していたとする言い伝えがあります。「桐の水」の名の由来は、蜂須賀の家紋が「桐」であったことから、その名が付いたようです。 当時は、庶民などが飲める水ではなかったに違いありません。「お殿様、御用達の名水」であったわけですから、由緒ある名水といってもよいでしょう。 「桐の水」は一時は枯れていましたですが、平成元年に行われた公園整備の工事中に、水源が発見され「桐の水」として復活したとことです。

続きはこちら

(2020/09/21)