パラリンピックの歴史をひも解くドキュメンタリー ヘンリー王子も出演(オリコン)

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 新型コロナウイルスの世界的流行の影響で、来夏に延期された東京オリンピック・パラリンピック(東京2020大会)。感染による重症化リスクが高いパラアスリートが、コロナ禍でパラリンピックを目指す理由は何か、大会を開催する意義は何か、を考える一助となるドキュメンタリー『ライジング・フェニックス:パラリンピックと人間の可能性』が、Netflixで配信されている。 【動画】『ライジング・フェニックス』予告編  このドキュメンタリーでは、いまや世界で3番目に大きいスポーツイベントとなったパラリンピックの歴史をひも解きながら、障がいや多様性、人間の可能性に対する考え方を変革し続けてきた、パラリンピックムーブメントの特別な物語に迫る。  ムーブメントの原点は、「パラリンピックの父」とされる、神経学者で医師のルートヴィヒ・グットマンにある。本人の肉声や当時の資料写真&映像、娘エヴァ・レフラーのインタビューを交えて、グットマン博士の人物像も深く掘り下げている。  グットマン博士は、ナチスによる反ユダヤ主義が台頭するドイツからイギリスに家族とともに亡命。第2次世界大戦中、戦闘により脊髄を損傷するなど、障害を持つことになった帰還兵の治療にあたった。身体的・精神的なリハビリテーションにスポーツが最適であると考えた博士は、入院患者を集めて競技大会を開催する。これが、やがて国際大会として発展し、1960年ローマ大会の時に開催された競技会が、パラリンピックの第1回大会となる。  この作品の中で、言及されていないが、「パラリンピック」という名称が全面的使用されるようになったのは、1964年の東京大会からだ。1980年モスクワ大会では、パラリンピックの開催を拒否した黒歴史もある(オランダが代替開催に名乗りをあげてアーネムパラリンピックが開催された)。1986年アトランタ大会はオリンピック組織委員会がパラリンピックを運営せず、2004年アテネ大会はテレビ中継の映像でガラガラの観客席が悪目立ちするなど、「簡単にできたらパラリンピックじゃない」という関係者の言葉が洒落にならない。  状況が変わってきたのは2012年ロンドン大会から。本作では、スポーツ好きで知られるヘンリー王子もインタビュー出演し、「スポーツはきっかけです、この世の中でスポーツほど人を暗闇から救えるものはありません」「グッドマン博

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(2020/09/06)