長野・松本民芸家具探訪記──時代を超えて受け継がれた重厚さが面白い(GQ JAPAN)

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松本民芸家具は独特の温かみが魅力である。ミズメ(あるいはミズメザクラ)なる木を使って、松本市内でクラフツマンの手で作られている。東京をはじめ日本各地でも愛されてきており、たとえば映画『タンポポ』なども手がけたマルチタレントの文筆家、伊丹十三(1997年没)の自宅写真を観たとき、松本民芸家具らしきライティングビューローが映っているのを発見したこともある。 家具の雰囲気からえらく昔から作られてきたように思えるものの、実際に家具づくりが松本市内でスタートしたのは太平洋戦争後。今回の取材で教えてもらった。思っていたより歴史は新しい。戦時中は木製格納庫を製作していた。戦後、新しい道を探さなくてはいけなくなったことが出発点である。 日本の手づくりの仕事のよさを再発見した思想家、柳宗悦(1961年没)の力を借り、「(柳)先生に励まされ、生活の再建に役立つ家具づくり」として出発したそうだ。創業者の池田三四郎の孫で、現在、常務取締役の池田素民さんが教えてくれた。 生活のなかに美をもちこむことこそ人間的な生活に必要不可欠なこと、とした柳宗悦。 「欧米における手工藝運動」と題した随筆のなかでは「(手づくり製品の魅力は)健康な美を持っていることにある。そういうものには過去とか現在とかいうことがほとんどない。古いものがしばしば一番近代風に見えるのは多くの人の経験する所であろう」と書く。 松本民芸家具の魅力といえば、重厚さにある。ただしデザインが過剰ではないので、現代のインテリアにも比較的合わせやすい。実際、若いひとのあいだでもけっこう人気が高いと聞く。柳宗悦が上記の随筆を発表したのは1930年。それがいまでも通用することに改めて感心する。 「私は、家具には強い個性は必要ないと思っています」。池田素民さんも言葉を継ぐ。 「ひとが生きていくうえでツライことがあったときなど、自宅に戻ってきて、触れることで癒やされ、元気が出てくる家具を作っているつもりなんです。空気のようにことさら意識しないけれど、なくてはならない、ともに生活してきた家族のようなぬくもりを与えるのが、松本民芸家具の役割だと思っています」 イタリアや北欧やドイツ(バウハウス)やロシア(ロトチェンコらのロシアアバンギャルド)など、世界各地で1930年代から1950年代にかけて、デザインの新しい思潮とともにすぐれた家具が生

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(2020/09/06)