としまえん閉園、思い出すルーマニア人女性とプール(日刊スポーツ)

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<ニッカンスポーツ・コム/芸能番記者コラム> 東京・練馬にある遊園地、としまえんが8月いっぱいで、94年の歴史に幕を閉じた。 【写真】遊園地「としまえん」 東武伊勢崎線(現東武スカイツリーライン・伊勢崎線)沿線の“埼玉都民”として生まれ育ったので、子供の頃は西武池袋沿線のとしまえんとは、全く縁もなかった。だが、大学が西武池袋沿線だったので、なんと学部の運動会の会場がとしまえんだった(笑い)。あと、地方から上京した同級生や地元出身の練馬区民は、成人式の後に「としまえん遊び放題」と聞いて「なんだ、そりゃ?」と思いながらも、ちょっぴりうらやましかった記憶がある。東京ディズニーランドが開演するのは、その2年後だった。 大学時代にプールデートをすると言えば、神宮の杜にある神宮プールだったので行ったことはない。だが、社会人になって、初めてとしまえんプールに行った。 今から26年前の1994年(平6)の7月だった。仲のいい友人と2人でお酒を飲みに行った席で、外国人の女性グループと隣り合わせた。言葉が通じなくてめんどうくさいと思っていたのだが、下心の塊のような友人は、片言の英語で一生懸命コンタクトを取っていた。 それによるとルーマニアから来たばかりの、その女性たちはプールに行きたがっていた。友人は、当時まだあった六本木プリンスホテルのプールの場所を一生懸命説明していた。「そんな値段の高いところ無理だろ。神宮プールにしておけ。JR総武線の黄色い電車に乗って千駄ケ谷の駅からすぐだから」と言って、勝手に酒を飲んでいた。 しばらくすると、話がまとまったという。それから3日後に待ち合わせて、としまえんのプールに行くということがなぜか決まっていた(笑い)。 待ち合わせの当日、自宅に迎えに来た友人のゴルフ(車)に乗って行くと、ルーマニアの女の子が4人もいた。片言の英語を話せる女の子が助手席に乗り、記者は後部座席にギュウギュウ詰めで座った。 カーナビなどなかった時代。地図を見て、あちこち迷いながら昼すぎに到着した。だが、駐車場に車を入れるのに、なんと1時間待ち(^^;)仕方がないので、記者が1人でルーマニア女子4人を引率して入場した。 当時の記者は、フジテレビ「ドキッ!女だらけの水着大会」のスポーツバージョンの取材でハワイから帰ってきたばかり。たけし軍団・井手らっきょvsソウル

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(2020/09/06)