16世紀の世界地図、総数60枚がデジタル地球儀に(ナショナル ジオグラフィック日本版)

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 地図を製作したウルバーノ・モンテは、ほとんど知られていない人物だ。イタリアのミラノ出身で、広い人脈を持った裕福な家庭で育ったという。教養の高い当時の紳士たちの多くがそうだったように、地理学に特別な関心を抱いていた。時はまさに、心躍る大航海時代。地図製作の歴史研究者で、モンテの地図に関する論文を発表したキャサリン・パーカー氏によると、「世界は日に日に拡大していました。モンテも、それをすべて理解したいと思ったのです」という。  モンテは、当時にしてはかなり地理に精通していたようだ。有名な地図製作者のゲラルドゥス・メルカトルやアブラハム・オルテリウスといった先達の業績を基に、当時の最新情報も書き加えた。その一つに、ポルトガル人航海者フェルディナンド・マゼランが1520年に南米大陸南端沖で発見したフエゴ諸島がある。  上流社会とのつながりがあったモンテは、日本からヨーロッパへの初の公式使節団である天正遣欧使節と、1585年にミラノで面会した。同時代に西洋で製作されたほかの地図にはほとんど書かれていない日本の地名がモンテの地図に数多く含まれているのは、恐らくこのためだろう。  またこの時代の地図によく見られる傾向だが、モンテも地図の空白部分に絵を描き入れた。陸には動物たちが闊歩し、海には船や怪物が行き交っていた。スペイン国王フェリペ2世は、海に浮かべた玉座のようなものに座って、南米沖の海を航海している。海洋覇権国だったスペインに敬意を払ったものだろうか。  モンテの地図に特徴的なのは、球体の地球を平面地図に投影する手法である。地図は円形で、北極点を中心に経線が放射状に広がっている。現代では方位図法と呼ばれる投影法だが、当時としては極めて珍しかった。20世紀に入って航空機が登場し、2つの地点を結ぶ最短ルートの北極圏上空を飛行機が盛んに行き交うようになるまでは、一般的ではなかったものだ。  地図収集家のデビッド・ラムゼイ氏は、次のように語っている。「モンテは、地球が丸いということを示したかったのだと思います」。ラムゼイ氏はモンテの地図を買い取り、2016年にスタンフォード大学に自ら創立した地図センターに寄贈した。北極点を中心とした地図投影は、北半球の大陸を正確に描くことができるという利点がある。その半面、南極大陸がとんでもなく誇大化されているが、ラムゼイ氏によると当時

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(2020/09/06)