【阪神】山口高志氏も藤川球児ねぎらう「もう一度投げている姿目に焼きつけさせて」元コーチ(スポーツ報知)

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 火の玉ストレートの生みの親である山口高志(70)=現関大アドバイザリースタッフ=が31日、現役引退を決断した阪神・藤川球児投手(40)の労をねぎらった。  「お疲れさんしか言えない。今年、もう一回、1軍に上がってきて、クローザーじゃなくても…。たとえブルペンの7番手の投手でも、もう一度、投げている姿を目に焼きつけさせて欲しい」と願った。  山口氏は阪神の2軍投手コーチを務めていた2004年、藤川に「右膝やないかな」と軸足(右足)の使い方を助言。フォームを矯正した途端、150キロ超の速球を連発するようになり、シーズン後半から中継ぎ陣の一角に食い込んだ。  翌05年は西鉄・稲尾らの持っていた当時のシーズン最多を更新する80試合に登板。7勝1敗、防御率1・36と驚異の数字でリーグ制覇に貢献した。  山口氏は「いい選手に、いいタイミングで出会えるのがコーチにとって一番幸せなこと。同じアドバイスをしても、うまくいかなかった選手の方が多いし、申し訳ないことをしたと思っている子だって、いっぱいいる。球児とはたまたま2人の思惑が一致したということ」と控えめに振り返るが、うなるような速球を二人三脚で作り上げたのは間違いない。  08年から12年は1軍のブルペン担当として、球児らリリーフ陣と一緒の時間を過ごしてきた。「ドラフト1位が苦労して、苦労してポジションをつかんだ。今、心の底には『僕のことは気にせんと、チームのことだけ考えてやって下さい』ということでの発表だと思う。最後もそういうことを一番感じているじゃないか」と藤川の心中を思いやった。  人さし指と中指をくっつけるストレートの握りは、山口氏と球児の共通点。阪急の黄金時代に剛腕で鳴らした伝説を引き継いでくれたのが、藤川だった。  「いい選手と巡り会えたのは財産やもんな。(オリックスで)イチローと同じ時期にグラウンドと過ごせたのと同じようなこと。球児が『俺によって成長できた』と言ってくれることが、今の自分を作ってくれたと思う」。師弟の結晶とも言える剛速球を見せるチャンスはまだ残っている。  ◆山口 高志(やまぐち・たかし)1950年5月15日、神戸市生まれ。70歳。市神港高で68年春夏の甲子園に出場。関大では剛速球を武器に多数のリーグ記録を樹立。72年ドラフトでヤクルトから4位指名もプロ入りを拒否していたため松下電

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(2020/08/31)