益子修前三菱自動車会長 日産から出資取りつけで手腕(産経新聞)
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苦難続きだった約15年半の三菱自動車トップをようやく終えた直後の悲報。巨額赤字で再建途上にある責任を問う声もあるが、「振り返ればどの危機も彼以外では乗り越えられなかったと誰もが思うはずだ」と同社関係者はねぎらう。
三菱商事の自動車事業本部長だった平成16年、三菱自でリコール(回収・無償修理)隠しが発覚。再建を託されて17年に三菱自社長となり、波乱の経営者半生が始まった。
リーマン・ショックや東日本大震災も経て軽自動車への注力などで何とか再建。26年に生え抜き人材に社長を譲り、会長となるが28年、燃費データ改(かい)竄(ざん)問題が発覚する。
当時を知る関係者が「手腕が最も発揮された」と指摘するのは、窮地での日産自動車からの出資取りつけだ。日産会長だったカルロス・ゴーン被告との交渉をフランスのパリに飛んで10日ほどでまとめた上、「重工、商事、銀行の『三菱御三家』も短期間で説得した」と語る。
燃費データ改竄の経営責任が問われる中、「残っては会社のためによくない」と退任を決めていた。だが、ゴーン被告から慰留され、社長にとどまった。
その後は仏ルノーも含めた3社連合の関係強化に尽力。ゴーン被告逮捕の激震も経て昨年、最高経営責任者(CEO)職を退いた。
現在の不振は、ゴーン被告による3社連合の拡大戦略が一因だが、別の関係者は「益子さんが押し返した話もあり、最悪の状態は防げた」と指摘する。(今村義丈)