再発見・再評価されるバウハウスの女性たち:「バウハウス100年映画祭」(GQ JAPAN)

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昨年から今年にかけて、バウハウス開校100周年を記念する展覧会やイベントが日本各地で開催されています。その主軸となる催しとしてこれまで新潟、西宮(兵庫)、高松(香川)、静岡を回ってきた「開校100年 きたれ、バウハウス ―造形教育の基礎―」展が、この夏、東京ステーションギャラリーにやってきました。あわせて今月は「バウハウス100年映画祭」も、昨年秋の上映時のプログラムに新たな作品を加えて東京都写真美術館のホールでふたたび開催中です。 ふたつの世界大戦のあいだ、ヴァイマル共和政期のドイツにわずか14年だけ存在した造形芸術学校バウハウスで教え、学んだ人々は、20世紀のデザインや芸術や建築に多大なる影響を与えてきました。この学校は新しいテクノロジーと手仕事、機能性と芸術性の融合を目指し、生活と密着したモダンな美意識のありかたを提示したとして、歴史にその名を刻んでいます。さらに近年では、かつては軽視されていた女性たちの功績についての研究も進んでいるようです。たとえば、このたびの映画祭で上映されたドキュメンタリー『バウハウスの女性たち』(2019年、ズザンネ・ラデルホーフ監督)は、彼女たちの足跡に光を当てる、短いながら中身の詰まった作品でした。 バウハウスは建築家のヴァルター・グロピウスを初代校長として1919年に開校した際、新しい時代の教育機関となることを目指して、男女平等の理想を掲げていました。それまで芸術系の大学が基本的に女性を受け入れていなかったこともあって大きな関心を集め、バウハウスの初年度に入学した学生の半数以上は女性だったそうです。しかし、翌年になるとはやくも女子学生の数を全体の3分の1にとどめる決定が下されます。その理由は「世間からの学校の評価が落ちることを恐れて」だというから、いくら志が高くても性差別だけは温存するインテリ男性の悪しき伝統にげんなりしますね。グロピウスだけでなくパウル・クレーやヴァシリー・カンディンスキーなどの高名なアーティスト兼指導者たちも、女性は芸術には向かないという偏見に囚われた発言をしていたとか。 バウハウスの教育プログラムでは、学生たちはまず予備課程を終え、それから専門分野の工房に割り振られましたが、そこでも建築がいちばん偉いというヒエラルキーが存在しており、女性は本人の希望や才能の有無には関係なしに不人気な織物工房に割り振ら

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(2020/08/25)