世界最速のフェアレディZを公道で試す! 中編──連載「西川淳のやってみたいクルマ趣味、究極のチャレンジ 第5回」(GQ JAPAN)
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JUNオートメカニック(以下ではJUNオート)のボンネヴィルでの活躍は、チューニング系の専門メディアで大々的に取り上げられた。その記事を読んですかさずアクションを起こした男が広島にいた。それが今回の“究極のチャレンジ”に協力してくれたA氏だった。
A氏は若いころに日本海を渡ってほとんど無一文でソ連からフランスまでを鉄道で旅したという、市井の我々からすればほとんど冒険家のような人物だ。のちにクルマにも興味をもち、なかでも速度に魅せられた。速いクルマなら何でも手に入れようとした。今となっては貴重な70年代のレーシングカー、ローラにナンバーを付けて公道をぶっ飛ばしたりもした。スーパーカーの所有経験も豊富で、ミウラにはなんと4台も乗り継いだというから驚く。
そんな彼が日本人チューナーによるフェアレディZのボンネヴィル挑戦に心動かされないはずがなかった。90年の初挑戦で370km/h近くを達成したと知り、A氏は早速JUNオートとコンタクトを取る。A氏は単刀直入に、「ボンネヴィルのマシンそのものを譲ってくれ」と伝えた。結果が全てのA氏にとって、最高速は自ら出すものであり、決してコツコツ造りあげるものではなかったからだ。
ところがJUNオート側には“売れない”事情があった。翌年のボンネヴィルには、同じマシンを改造して出場することになっていたのだ。
どうしたものか。JUNオートの回答もまたシンプルだった。「全く同じZをAさんのために造りましょう」だったのである。A氏もそこまで言われたら納得せざるをえなかった。初めから造るならせめて自分の希望を盛り込んでもらおうと、チューニングのベースモデルをボンネヴィル仕様と同じ赤の2シーターZではなく、黒い2 by 2に変更した。以来、A氏は黒い370km/h仕様Zの性能をとことん楽しみ、世界の高性能マシンが入れ代わり立ち代わりする広島のガレーヂにあって、その黒いZだけはずっと手放さずに現在も所有し続けている。