幸せに生きるためのクルマ選びとは?──ココロに効くクルマに乗ろう 最終回(GQ JAPAN)

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「明確な実益だけではなく、己の精神に何らかの良き影響を与えるクルマに乗ろうではないか」ということを各位に訴えてきた当連載も、いよいよおしまいである。 おしまいにあたって、これまでの原稿各種についてのいささかの釈明というか「補足」をさせていただきたい。 筆者が「クルマ選びは、実益ではなく精神に与える影響こそを重視しようではないか」と言ってきたのは、これまで繰り返し述べてきたとおり「東京あるいはそれに準ずる都市に住まう者にとって実用を主たる目的にクルマを所有する意味はさほどない」からだ。 例えば東京都の世田谷区に住まう筆者の実例で言えば、徒歩5分の場所にバス停があり、徒歩10分のところには私鉄の駅がある。そしてそれらバスや電車は、言うまでもなく「1時間に2本」とかではなく、大量のそれが10分と置かずにビュンビュン走りまくっている。 さらに言えば徒歩5分以内の場所に中規模スーパーマーケットが2軒あり、何かと便利な大規模スーパーまでも徒歩12分だ。 だが、こういった(ある意味)恵まれた環境下にある場所は日本の「都市」のなかでもごく一部であり、例えば明らかに「都市」のひとつである横浜市の都筑区あたりに住まうのであれば、なかなかこうもいくまい。 具体的には──もちろんケース・バイ・ケースではあろうが──スーパーマーケットまで、同じ5分でも「クルマで5分=徒歩だと約30分」といったニュアンスになる場合は多い。 つまり大多数の生活者にとっては、「クルマの実用性なんかどうでもいい問題じゃないですか」という議論は“絵空事”にすぎないのだ。なんだかんだいって「とはいえ実用性も無視はできないよね」というのが、決してお大尽ではないフツーの人々にとってのリアルであろう。 で、そのことは筆者も十分に理解しているつもりだ(なぜならば筆者も、そんな“フツーの人々”のひとりだからである)。 それを知っていながらなぜ、「ユー、都市部に住んでるならクルマの実用性なんて無視しちゃいなヨ! 」という極論と暴論を吐き続けたのか?

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(2020/08/23)