政権起爆剤のアベノミクス、黄昏の気配(産経新聞)

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 首相はデフレ克服を図る経済政策「アベノミクス」を引っ提げて再登板した。大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間活力を喚起する成長戦略という「3本の矢」を掲げた。特に日本銀行の「異次元緩和」が奏功して第2次政権発足前の歴史的円高は円安方向に反転し、1万円を割り込んでいた日経平均株価は2万円台に上昇。求職者1人当たりの求人数を示す有効求人倍率も1倍を大幅に上回った。 【イラスト】安倍政権7年半の成果と課題  一方、財政政策と成長戦略という残り2本の矢は伸び悩んだ。ニッセイ基礎研究所の斎藤太郎経済調査部長によると、公共投資は第2次政権発足直後の10兆円規模の大型経済対策で急拡大したが、平成25~30年度でならせば6年間の伸び率は年平均0.3%とその後は減少傾向になり、景気が後退局面に入る30年10月までは「緊縮気味」だった。  成長戦略は「地方創生」「1億総活躍社会」など看板を目まぐるしく掛け替えて目新しさをアピールしたが、「令和2年度をめどに名目国内総生産(GDP)600兆円」をはじめ、政策目標の未達が目立つ。少子高齢化による人口減やデジタル化の遅れなど、日本の成長を抑制してきた根本的な課題は解決されないまま次の景気後退の波に飲み込まれた。  今年に入って追い打ちをかけたのが、新型コロナウイルスの感染拡大だった。物価変動を除く実質のGDPは4~6月期に年率換算額で485兆円となり、首相の再登板時の平成24年10~12月期(498兆円)以来初めて500兆円を割り込んだ。民主党政権時代の水準に戻り、7年半の成果が事実上蒸発した形だ。  「アベノミクスが取り組んだデフレ脱却の3本の矢は正しい道筋だった」  西村康稔経済再生担当相は令和2年度4~6月期のGDPを発表した17日の記者会見でこう強調し、「その中でコロナショックがあり、世界経済全体が大きな影響を受けた」と付け加えた。「コロナ禍がなければ順風だったのに」との思いがにじむ。  ただ、景気悪化はコロナだけの責任ではない。政府は平成31年1月時点で、政権発足と同時に始まった景気回復が「いざなみ景気」(14年2月~20年2月、73カ月間)を抜き戦後最長になったとの見方を示した。だが、実際は米中貿易摩擦の影響で30年10月から後退局面に入ったことが内閣府の有識者研究会により事後判定された。  戦後最長とされた景気

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(2020/08/23)