[寄稿]日本人と道義心(ハンギョレ新聞)

【リンク先抜粋】
 今年の8月15日は、日本が第2次世界大戦で敗北して、韓国が植民地から解放されて、75年の節目の記念日だった。これだけの年月が経つと、戦争を直接経験した人は日本人の中のごく少数となった。しかし、受難の物語は継承されている。政府主催の戦没者追悼式典の式辞で安倍晋三首相は、「300万人の同胞」の犠牲には哀悼の意を表したが、日本の軍事行動がアジアでもたらした犠牲には言及しなかった。彼の歴史認識における自己中心主義は幼稚極まりない。  同じ日、25年前の戦後50年の時に首相であった村山富市氏が談話を発表した。彼は、革新陣営の社会党(当時)の委員長だったが、政界再編成のさなか、保守の自民党と協力した連立政権で首相を務めていた。そして、戦後50年の節目で、村山談話を作成した。この談話は、侵略戦争と植民地支配について日本の加害責任を認め、アジア諸国に対する謝罪を述べている。それゆえ国際社会から高い評価を得た。村山氏は、今回の談話の中で、ナショナリズムが高まり、安倍首相をはじめ日本の加害責任を否定する風潮に対して、「日本の過去を謙虚に問うことは、日本の名誉につながるのです。逆に、侵略や植民地支配を認めないような姿勢こそ、この国を貶(おとし)めるのでは、ないでしょうか」と警鐘を鳴らしている。  この25年間で最も大きく変わったのは、自民党の政治家の質だと私は考える。25年前の自民党には、保守の立場であっても、戦争を経験した政治家が残っており、日本がアジアの人々に大きな被害をもたらしたことは自明の前提であった。戦後日本で、曲がりなりにも憲法9条の平和主義を維持し、自衛のために必要最小限の自衛力を持つ一方、海外で軍事力を行使しないという路線を守ってきたのは、ほかならぬ自民党政権であった。自民党支持者の中には、戦後の民主化、平等化の中で自作農となった人々や参政権を得た女性がいた。これらの人々が、自民党を極右国粋主義政党に転落することを防いできた。自民党も、ある程度は戦後民主主義の政党だったのである。 しかし、今や戦争を経験した政治家は政界から消え、戦後生まれの保守政治家の中には、戦争を指導した側の上からの目線で戦争を考える者が増えている。あの戦争は自衛のためだったとか、西欧帝国主義との戦いだったといった正当化は、安倍首相の祖父、岸信介など戦争を指導した政治家の常套句だったが、今、それ

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(2020/08/23)