【フィアット パンダ 40周年】第1回…それは天才の夏休みに生まれた[フォトヒストリー](レスポンス)

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初代フィアット『パンダ』が発表された1980年から数えて、2020年は40周年にあたる。これを機会に、歴代3モデルに関するエピソードと、イタリア在住ジャーナリストの筆者が過去20年以上の暮らしで撮影したパンダをお届けする。 【写真】初代フィアット・パンダ(全40枚) 初代は40周年に合わせて写真40点とした。カタログ写真とは一風違う、生活感溢れるパンダたちから、イタリアを代表する大衆車が本国でいかに社会に溶け込んでいるかを感じ取っていただきたい。 第1回は初代(前期型1980-1985年、後期型1986-2003年)である。デザインしたのは、多くの読者がご存知のとおり、“20世紀のレオナルド・ダ・ヴィンチ”の異名をもつジョルジェット・ジウジアーロ(1938~)である。 ◆ジウジアーロの証言 ジウジアーロは2020年5月筆者に対し、初代パンダを「40年間、常に心の中にある」としたうえで以下のように回想している。「私の一貫したデザインコンセプトである機能性・プロポーション・数学・実用性・汎用性が統合されており、最も成功したプロジェクトのひとつだからだ」。 始まりは1976年7月末、ジウジアーロが受け取った一件の連絡だった。先方は、フィアット社長に就任したばかりのカルロ・デ・ベネデッティだった。 ジウジアーロが経営していたトリノのイタルデザイン社が1998年に出版したルカ・チフェーリ著『Italdesign. Thirty years on the rord』によると、デ・ベネデッティのオーダーは「フランス風の大衆車を」というものだった。補足すれば、フランス風とはシトロエン『2CV』やルノー『4』を指していたのは明らかだ。 「先代である『126』の重量とコストを超えず、かつ明確な概要と革新的なコンセプトであることが求められた」と、ジウジアーロは筆者に回想する。 期限は、僅か半月後である8月15日・被昇天のマリアの休日明けであった。それは毎年、イタリア人にとって夏休み気分が最も盛り上がる期間である。にもかかわらずフィアットの社長は、無情にも“宿題”を課したことになる。ジウジアーロはスケッチ用キャンソン紙と色鉛筆を携え、休暇先のサルデーニャ島に向かった。 彼によると、答えは休暇中、ごく短期間に閃いた。「既存の小型セダンの縮小型ではなく、スペースに富み、極め

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(2020/08/23)