【グランプリから大陸横断旅行まで】ブガッティ・タイプ57Sカブリオレ 後編(AUTOCAR JAPAN)
【リンク先抜粋】
text:Mick Walsh(ミック・ウォルシュ)
photo:Tony Baker(トニー・ベイカー)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)
トーマス・マシソンとミラ・パレリーが出会ってから11ヶ月後、パリ西部のヌイイ市庁舎で2人は結婚。レースや映画界から、数多くの友人が参列する、幸せに満ちた式となった。その側では、ダークブルーのブガッティが華を添えた。
【写真】ブガッティ・タイプ57Sとタイプ55 (38枚)
コルシカ製の美しいボディは、1948年までに4万km以上の距離を重ねた。「エンジンの始動性以外、深刻なトラブルが生じたことは一度もありません。これまで所有した公道用のブガッティで、ベストといえますね」。マシソンが言葉を残している。
「何度か大旅行へも出ています。特に素晴らしかったのは、フランス中部のビシーの街からパリまで、平均95km/hくらいでドライブした旅。1946年当時の道路状況や、雨がちだった天気を考えると、かなり良いペースだったと思います」
タイプ57Sの助手席には、いつも妻のパレリーが座った。しかし荷室の不足が常に課題だった。
マシソンはブガッティを、スコットランドの自動車愛好家、ジョンHファーへ譲る。ファーは小さなガレージを経営しており、ミネルバやキャディラック、メルセデス・タイプ36/20などに隠すように、タイプ57Sを保管した。ほとんど運転もしなかった。
エジンバラで身を潜めていたブガッティは、1974年に売却。その時の走行距離は4万8200km程度だったという。タイプ57Sを継いだブラニスラフ・スジックは、積極的に走らせた。