終戦記念日に考える東京五輪-「幻の1940年大会」と重なる時代の空気(nippon.com)

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1940年の東京五輪は、関東大震災からの復興を世界に示す狙いで招致が進められた。震災から17年後、神武天皇即位からの紀元2600年を祝う記念行事に合わせて五輪が計画された。 だが、世界から祝福されるはずの祭典は「幻」に終わった。大会返上へと至る歴史的事実の数々は、まるで現在を重ねるかのように重苦しい空気に満ちている。 1910年代から30年代にかけての世界は不安定な状況にあった。第1次世界大戦は14年から始まったが、その最中には、「スペイン風邪」と呼ばれるインフルエンザが米国から欧州へと広がり、日本でも多くの死者が出た。大戦による兵士の世界的移動がパンデミックをもたらしたともいわれる。流行は18年から3年近くにわたって続いた。 日本では23年9月1日に関東大震災が起きた。日本の中心部を襲った大地震は、木造家屋の多かった関東地方を壊滅的な状況に陥れた。日本経済は大打撃を受け、首都機能の停止で「震災恐慌」と呼ばれる不況に突入した。 一方、20年代の世界経済は、第1次大戦後の復興需要で潤いを取り戻そうとしていた。ところが、過剰な投資で経済は膨張し、ついにバブルは崩壊。29年10月24日、「暗黒の木曜日」と呼ばれるニューヨーク証券取引所での株の大暴落が、世界恐慌の引き金となった。 そのような時代背景の中で、30年に東京市(当時)の市長に就任したのが五輪招致を熱望した永田秀次郎だ。元内務官僚で、関東大震災時に市長を務めていた。震災1年後に市幹部の人事をめぐる問題で辞任したが、再び市長に返り咲き、廃墟から立ち上がった東京の姿を世界にアピールする機会を考えていた。まさに「復興五輪」の構想だった。

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(2020/08/14)