9回2死から“青い稲妻”盗塁…常識破りの長嶋采配 あの名場面の裏側(夕刊フジ)

【リンク先抜粋】
 【あの名場面の裏側】  7月19日のDeNA対巨人戦。9回表、1点を追う巨人は2死となったが、坂本が四球で出塁すると代走に切り札の増田大が送られた。  増田大はすかさず二盗に成功。続く丸の二塁内野安打で一気に生還して3-3の同点に追いつくと、岡本の2ランで逆転勝ちした。崖っぷちで盗塁させた巨人・原監督の「大胆な作戦」がたたえられたが、43年前、当時の長嶋監督が指示した9回2死からの盗塁は「なんと無謀な作戦か」とネット裏を騒然とさせた。  1977(昭和52)年4月19日、甲子園での阪神-巨人戦。2-3と1点リードされた巨人9回表の攻撃も簡単に2死となった。  が、巨人はこの“死の淵”から猛反撃。六番・土井正三(故人)が渋い内野安打で、小さな芽をつくると、長嶋監督はここですかさずルーキーの松本匡史を代走に送った。ここまではごく普通の采配だが、そのあとの攻めが意外だった。  まず7番上田武司に代えて山本功児(故人)を送る。その狙いはチャンスに強い山本功の長打に期待し、俊足の松本が一気に生還する。そう想像できた。  しかし-敵も味方もあっと息をのみ、スタンドがどよめいたのは阪神・古沢憲司投手の2球目のフオークボールが投げられたときだった。一塁走者の松本が突然、二塁に向かってスタートを切ったのだ。当時、リードされているチームが9回2死から盗塁を仕掛けるような作戦はなかった。  「大胆というよりは無謀。もし、盗塁が失敗したら即ゲームセット。土壇場で生か死のバクチを打ってよいものか。結果はどうあれゲームセットになる危険を避けるのが指揮官の取るべき作戦だろう」という記者、評論家の意見が強かった。  もし、失敗して試合終了となっていたら「野球を知らない無能監督」の烙印(らくいん)を押されかねなかったろう。  ところが、このカケは成功した。古沢-田淵幸一のバッテリーは全く無警戒で、松本は余裕十分で二塁へすべり込んだ。動揺した古沢から山本功が中前にタイムリーヒットを放ち、土壇場で同点。そして、延長10回に2点をあげて逆転勝ちしたのだ。  「ええ、初めての体験でしたね。でも、負けゲームでは常識に頼ってばかりはいられません。2死1塁のあの場面で点をとるにはヒット2本は必要。ワンヒットで返すには盗塁しかない。松本の盗塁成功の確率と、下位打線でヒット2本が続く確率をはかり

続きはこちら

(2020/08/14)