ジャーナリストの伊藤詩織、#MeTooのきっかけとなったワインスタイン事件を追った記者にインタビュー(ハーパーズ バザー・オンライン)

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2017年10月、#MeTooという言葉が反響した。その響きは止むことなく世界中で大きく共鳴した。「私も」という声の持ち主たちとともに。 私は今でも当時のことを忘れられない。#MeTooという言葉を知ったのは、自分の性暴力被害を自ら取材し、綴った『Black Box』という著書を発表した直後だった。自分で経験したことを一方的に書くことはジャーナリストとして抵抗があったが、できるだけ客観的に、なぜ誰にも話したくなかった経験を伝えなくてはいけないのかを書いた。日本のメディアでは一度不起訴になったケースは扱うことが難しかったらしい。だから私自身が書くしかなかった。しかし当局の答えを横流しにするだけでなく、事実と証拠を照らし合わせ、法律に対しても検証していくのがジャーナリストの仕事ではないだろうか。 出版を報告した後に初めてメールボックスを開けると、ある女性からのメールが届いていた。「同じ女性として恥ずかしい」。そんな言葉に目の前が滲んで見えた。 欧米では女性たちが連帯して立ち上がっていた。環境や文化でここまで受け取り方が違うのかと愕然とした。 しかし私は、ただ第六感が備わっていなかっただけなのだと後になって知った。出会った多くの女性は心から共感し、応援していてくれたという。そう、心の中で。環境や文化がその声たちを沈黙させてしまう。その理由は何だろうと何度も考えた。その答えが『その名を暴け』に詰まっている。それは文化や環境を超えた、根本的な構造の問題なのだ。 全世界で広がった#MeTooという声のきっかけは『ニューヨーク・タイムズ』をはじめとした調査報道によるものだった。その当事者たちのストーリーは、これまで何度もかき消され、沈黙を強いられてきた。 「嘘つき」「金目当て」「枕営業」。彼女たちの言っていることは事実ではないのだからと。そんな呪いを解き放つのは紛れもない「事実」であった。 「ジャーナリストはサイエンティストのようなもの」。すべては事実を集め、検証することなのだ。そう、科学者のように。共著者のひとり、ジョディ・カンターに話を聞いた。

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(2020/08/08)