5分で分かる! 紳士の嗜みとしての「ボサ・ノヴァ」基礎&応用講座(サライ.jp)

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ボサ・ノヴァはブラジルの大衆音楽であるサンバやショーロなどの流れの上に生まれた、「新感覚(=ボサ・ノヴァ)」のポピュラー音楽です。「定説」としては、1958年にジョアン・ジルベルト(ヴォーカル、ギター)が発表したシングル「シェガ・ジ・サウダージ(想いあふれて)」がボサ・ノヴァの最初のレコードとされています。作詞はヴィニシウス・ジ・モライス、作曲はアントニオ・カルロス・ジョビン。録音、発表はリオデジャネイロにて。もちろん新しい音楽が突然生まれるはずはなく、ブラジル音楽の歴史の流れの上にボサ・ノヴァは生まれたのですが、この演奏にはボサ・ノヴァとされる要素がすべて揃っていることを考えると、「最初の」という認識は目安としては正しいといえるでしょう。それは、ジョアンの静かな声と新しいギターのリズム、ジョビンの斬新な作曲感覚、モライスの歌詞のサウダージ(郷愁感)の組み合わせです。ほかにもボサ・ノヴァの演奏者、作家はいますが、この3人の組み合わせはその象徴といえます(ちなみにブラジル音楽のもっとも大きな幹であるサンバは、1910年代にスタイルが確立され、2016年がサンバ誕生100周年とされています)。 ボサ・ノヴァでもっとも知られる曲は「イパネマの娘」でしょう。この曲は1964年に(ブラジルではなく)アメリカで大ヒットし、そこからボサ・ノヴァは世界に広がりました。これにも先の3人が関わっていますが、ここにもう2人の重要人物が加わります。アメリカ人ジャズマンのスタン・ゲッツ(テナー・サックス)と、「英語で歌う」アストラッド・ジルベルトです。リオで生まれたボサ・ノヴァは、アメリカに渡り、このふたりの参加によって大きく変貌しました。 まず、人気サックス奏者のゲッツが演奏したことより、この「異国の音楽」が、アメリカ人になじみのある「ジャズ」の新しいスタイルとして受け入れられたこと。そしてアストラッドの英語による歌唱。リオではポルトガル語で歌われていたのですが、アメリカをはじめ世界を相手にするために英語で歌ったのです。これをきっかけに、ボサ・ノヴァは世界的に注目され、楽曲は多くのミュージシャンに取り上げられるようになりました。多くのジョビンの曲がジャズの世界ではスタンダードとなり、あのフランク・シナトラもジョビンとの共演アルバムを作ったほどでした。ボサ・ノヴァは、本来ジャズとは直接関

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(2020/08/04)