brainchilds・菊地英昭、「まだ喋れないとき」から好きなものとは?(J-WAVE NEWS)

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菊地さんは1964年生まれ東京都出身。日野で生まれ、すぐに八王子に移り住んだという。 菊地::30代ぐらいまでずっと八王子でした。 渡辺::環境的に周りはどんな感じですか? 菊地::八王子に引っ越したときは、まだ舗装されてない道もあるぐらいの山の中でした。 渡辺::私は相模原だったんですけど、舗装されていない道はけっこうありましたよね。 菊地::ありましたね。 山田::では自然がいっぱいで、小さいころは外で遊ぶのが楽しかったんじゃないですか? 菊地::家族で休日に近くの山にピクニックに行ったり、子どものころは一人で虫をとりに行ったりしていましたね。 渡辺::あの辺だと高尾山が見える感じですかね? 菊地::実家から見えます。見える窓があって、そこがすごく好きで、しょっちゅういました。 山田::登ったり? 菊地::高尾山はわりと登っていました。 渡辺::アウトドアな子どもだったんですね。 菊地::昔は本当にやんちゃでしたね。 洋楽にハマったきっかけは1本のミュージックテープ 活発な子どもだった菊地。音楽に出会ったのは小学生のころだという。 菊地::父親が買ってきたミュージックテープがダニエル・ブーンというアーティストで、有名な『Beautiful Sunday』のオリジナルを歌っている人です。それをよく聴いていて、そこから洋楽に興味を持ち始めて、物心がついたころに、クイーン、エアロスミス、キスとかがちょうど流行り出して、そこからどっぷり洋楽につかり始めました。 渡辺::イメージ的にはちょうど70年代の中盤くらいですね。 山田::ギターはどういうきっかけで? 菊地::エアロスミスのジョー・ペリー(Gt.)を見て「こういうふうになりたいな」と思って、ギターがほしくなって、親に「買ってくれ」と言ったんですけど、当時はまだエレキギターって不良がやるようなイメージが世間にあって、買ってもらえなくて。アコースティックギターを買ってもらって練習していました。 渡辺::それは何歳のときですか? 菊地::14歳になるぐらいですかね。なかなか上手にならなくて、中学時代はそのまま終わっちゃったんですけど、高校に入ってからマイケル・シェンカーというギタリストの作品を聴いて、たくさんコピーしたくなって、それを練習し始めたら上達しました。 渡辺::「好きこそ物の上手なれ」で、意欲が大事です

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(2020/08/04)