伝説の第1回フジロックとは?──連載「あの人とフジロック」(GQ JAPAN)

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「ホワイトマウンテニアリング」のデザイナーである相澤陽介さんは、1997年の第1回「フジロック」を体験し、そのあとも頻繁に足を運んでいる生粋の“フジロッカー”です。2019年には“ファッションと音楽のクロスオーバー”を掲げるプロジェクトの「フジロックコレクション」とコラボし、野外フェスにぴったりなポンチョやTシャツをリリース。20年来の「フジロック」ファンの相澤さんが、大型台風のために2日目が中止になった“伝説”の第2回「フジロック」の思い出や昨年のコラボについて語りました。 ──1997年の第1回「フジロック」に参加したんですよね。 18歳か19歳の浪人生だったとき、立川のタワレコに貼ってあった第1回「フジロック」のポスターを見たのがきっかけかな、たしか。 「グラストンベリー」や「ロラパルーザ」のような海外フェスをVHSで繰り返し見ていたので、日本でこんなのが行われるんだと驚きましたね。1996年の冬に知って、翌年大学1年生の時に参加しました。 ──これまでに10数回「フジロック」に参加していらっしゃいますが、 “伝説”といわれる第1回は特別なものだったのですか? やっぱりどの年と比べても、第1回の「フジロック」が圧倒的に印象に残っています。当時、ぼくは貧乏学生だったので、飲食店のバイトとして参加したんですよ(笑)。お店のオーナーに「レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンとフー・ファイターズのライブだけは絶対に観たい!」って頼みました。 お店の設営があるから、前日には会場(天神山スキー場)入りしていたんだけど、その日はすごくいい天気でした。ビール飲んでケバブ食べてワクワクしながら、2日目に出る予定だったリー・スクラッチ・ペリーとかのリハを見てたんです。それで1日目がはじまりました。ぼくは快晴の下、ビールを売ってたんだけど、たしかイエモン(ザ・イエロー・モンキー)かフー・ファイターズあたりのメイン・アクトの出番が近づくにつれて、台風も近づいてきて(笑)。 初日のトリだったレッド・ホット・チリ・ペッパーズが演奏するころには、強風でお店のテントが倒れちゃったりして、それどころじゃなかった。シャワーがなかったので、ドロドロのヴァンズを履いて、ビショビショのバンドTシャツの上に雨合羽を羽織って、テントとビールの樽を運んだのを鮮明に覚えています。山でのフェスなの

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(2020/08/02)