伊東ゆかり、山本リンダらが弘田三枝子さんを悼む「いつも良きライバルでした」(スポーツ報知)

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 ヒット曲「人形の家」で知られる歌手の弘田三枝子(ひろた・みえこ、本名・竹永三枝子=たけなが・みえこ)さんが、21日午後10時31分、心不全のため千葉県内の病院で死去した。73歳だった。所属レコード会社によると、弘田さんは20日に千葉県内の自宅で倒れ、県内の病院に搬送された。倒れる前日までは変わらず元気な様子だったという。葬儀・告別式は26日に親族と関係者で行った。お別れ会は検討中という。  突然の訃報を受け、音楽業界からは多くの悼む声が寄せられた。歌手の伊東ゆかり(73)は「進駐軍慰問時代のお互い小学生の時代からの仲間であり、いつも良きライバルでした。レコードデビュー後は『ヴァケーション』など同じ曲を競作することが多く、周りから『ミコちゃんみたいに歌え!』とよく言われたものでした。その後もお仕事で何度もお会いし、ました。その時代の話をしたり『ちゃんとご飯食べるのよ』『転ばないでね』なんて心配していました」としのんだ。  歌手の山本リンダ(69)は「弘田三枝子さんを初めてテレビで見た時、なんてパンチの効いた歌唱力のある歌い手さんなんだと感動したのが昨日のことのようです。後に私もデビューして、お仕事でご一緒させていただいた時には、いつも気さくに声をかけてくださいました。昨年の11月、中野サンプラザホールでの日本歌手協会『歌謡祭』にて、ステージ袖で『元気?』と優しく声をかけてくださったのが、弘田さんとお会いした最後となりました」と、突然の死を嘆いた。  歌手協会会長の田辺靖雄(75)は「このコロナ禍にまた一人同級生のポップス仲間が旅立ってしまいさびしい。天才的な歌唱力は忘れません」。歌手の九重佑三子(74)は「60年代の天才的な歌姫が亡くなりました。寂しい限りです。『ユーコちゃんとステージ一緒にやりたい』と言ってくれたのがさ、最後のおしゃべりでした」と悼んだ。

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(2020/07/27)