「フジロックがない今年の夏を盛り上げたい」──連載:「あの人とフジロック」第1回 ビームス、土井地 博の巻(GQ JAPAN)

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──はじめて「フジロック」に行ったのはいつですか? 仕事ではなく、プライベートで2000年か2001年に行ったのが最初だったと思いますす。「ビームス」が協賛をはじめたのは2003年ですね。 ──協賛をはじめたきっかけは? フェスという言葉が世の中に浸透する前から、「フジロック」のような音楽ムーブメントは、若者文化を応援する「ビームス」とマッチするだろうなと感じていました。私が10代のときに行っていた山での音楽イベントの来場者は、デニムを穿いたり、革靴やスニーカーを履いていたりと、バラバラのファッションでしたが、雨が降っても気にせず、泥んこになって遊んでいました。2000年くらいからでしょうか、フェスやレイヴにも街着と同じようなファッションの人たちが増えてきたのは。「ビームス」で扱っているアウトドアウェアが音楽イベントとハマるだろうと思いましたね。 当時、音楽イベントに協賛するのは一般的ではありませんでした。だから、2002年に経営陣にはじめて提案したときは、却下されてしまいましたね。そこで、現社長(設楽洋)と現副社長(遠藤恵司)に「一度、この若者文化を見てください」と言い、フジロックに連れて行ったんですね。 フェス当日、ふたりと集合したら、設楽がグレイトフル・デッドのTシャツを、遠藤は「ウッドストック・フェスティバル」のTシャツを着ていて、誘ってよかったなとすぐに思いました。2人ともカルチャーが好きで、いまだにバンドをやっています。ふたりは、60年代後半~70年代のフラワームーブメントやヒッピーカルチャーの影響を受けている世代なので、「一度行ってみて、ビームスとマッチするかを肌で感じてみたかった」といっていましたね。およそ数万人のオーディエンスが見える世界最長のゴンドラ「ドラゴンドラ」の上であらためて企画書を提出しました。 ──約20年間「フジロック」に参加しつづけてきたわけですが、もっとも印象に残っているパフォーマンスや出来事はなんでしょうか。 ジョン・フルシアンテがいた時のレッチリ(レッド・ホット・チリ・ペッパーズ)、コールドプレイ、ケミカル・ブラザーズなどの、メイン・アクトは素晴らしかったですね。とくに記憶に残っているのは、2005年にグリーンステージで見たベック。ステージ上に長い食卓があって、メンバーがいきなり食事をはじめたんですよ。そのあ

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(2020/07/27)