急逝〝60年代歌姫〟弘田三枝子さんはドラァグクイーンにリスペクトされていた(東スポWeb)

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 1960年代に洋楽のカバーなどでヒットを連発した〝歌姫の元祖〟弘田三枝子さんが、心不全で急逝していたことが27日、分かった。73歳だった。  20日に千葉の自宅で倒れ、病院搬送されるも翌21日に他界した。関係者によると「倒れる前日までは、変わりなく元気でした」。世情を踏まえ、26日に親族や関係者で密葬を行ったという。  弘田さんといえば、ゴージャスなルックスと衣装で知られる。年齢を感じさせないその独特なスタイルは、ドラァグクイーン(通称ドラァグ)からリスペクトされている。  ドラァグとは、ゲイの女装パフォーマーのことだが、18日に急逝した三浦春馬さんも、主演ミュージカル「キンキーブーツ」(16年と19年)のドラァグ役が大好評で、ゲイたちから「生で見たかった」と惜しまれている。  4年前にはレコードデビュー55周年を記念し、東京・新宿2丁目で「弘田三枝子ナイト」があり、人気ドラァグたちと共演。開催にあたり、弘田さんから「今は自分が一番、ドラァグクイーンらしいと自負しております」という名言も飛び出した。  今年4月には、LGBT情報サイト「自分らしく生きるプロジェクト」のインタビューで「若い頃から私の真似をしてくださるゲイの方々に勇気を頂きましたし『ミコ(弘田さんの愛称)はゲイよ』って言われるのも実はとても嬉しいの」と明かしている。  代表曲「人形の家」(69年)の秘話も。当時のレコーディングは一発どりで、作詞したなかにし礼氏からの言葉は「ミコ! お前はこれで女になる!」だけで、歌詞内容の説明もなくいきなり歌わされたという。普通なら作詞家から細かい指示が出るはずが、「私は、あなたに」の箇所を無意識に「私は、はなたに」と発音してもスルー。「歌い方も何もかもを自由にさせてくださった」そうだ。  当時のヒット曲は明るい歌が主流で、同曲は当初、ラジオで「暗すぎて流せない」と拒否されたことも。だが、なかにし氏は「大丈夫、ヒットする‼」と自信満々だった。するとこの年の暮れ、弘田さんはこの曲で2年ぶりのNHK紅白歌合戦出場を果たした。

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(2020/07/27)