役者・唐美雲さんが語る台湾オペラ「男装の麗人」誕生から苦難の歴史まで(中央社フォーカス台湾)

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(台北中央社)台湾の伝統芸能、歌仔戯(台湾オペラ)のベテラン役者、唐美雲さんが25日放送のラジオ番組にゲスト出演し、日本統治時代から戦後まで続いた苦難のエピソードや、今では特徴の一つとなっている「男装の麗人」が登場した由来などを紹介した。 台湾オペラは、北東部・宜蘭の農村地帯で、大衆娯楽として約100年前に生まれたとされる。人口に膾炙(かいしゃ)した歴史故事などを楽器に合わせて口ずさむ純朴なスタイルから始まり、徐々に登場人物や服装が多様化。中国の伝統戯曲の影響なども受けて独自のスタイルを確立した。現在では、男性の主人公を女性の役者が演じることが多いのが特徴の一つとなっている。 唐さんによれば、最初のうちは男性が主人公を演じていたが、女性の観客が役者に熱を上げすぎないようにとの配慮から男装して舞台に上がる女性役者が出現。感情表現の豊富さや美男子ぶりが受けて、そのまま定着したという。 台湾語を用いるがゆえに、苦難の時代も長かった。唐さんは日本統治時代から伝わる実話として、舞台上の役者が日本人警察官の姿を目に止めた途端、突然日本語に切り替えたエピソードを紹介。このようなことは日常茶飯事だったと話した。 また戦後には、国民党政権が「国語」(中国語)教育を推進。台湾オペラも中国語で歌うことが求められた。録音スタジオで突然、プロデューサーから台湾語を使ってはいけないと言われた実体験を持つという唐さん。当時はやむなく、急ごしらえで対応したものの、「相約」(約束)という一言を、発音が似ている「香蕉」(バナナ)と言い間違えてしまったと明かし、今となっては「ばかげている」という言葉しか思いつかないと当時を振り返った。 1964年、南部・台南生まれ。両親とも台湾オペラの役者で、父親は日本人でありながら台湾人として育ち、台湾オペラの道に進んだ蒋武童(本名:森田一郎)。1998年に「唐美雲歌仔戯劇団」を創設し、毎年新作を発表している。芸術分野の台湾最高栄誉「国家文芸奨」受賞者。 唐さんが出演したラジオ番組「文化ya総会」は、非政府組織(NGO)中華文化総会が民間ラジオ局と共同制作したもので、毎回異なる分野のプロフェッショナルをゲストとして招き、台湾文化の魅力を発信している。 (葉冠吟/編集:塚越西穂)

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(2020/07/25)