「終わったと思った」 受け入れ「最初の街」の苦悩 【#コロナとどう暮らす】(千葉日報オンライン)

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 勝浦市の土屋元(はじめ)市長に国側から連絡があったのは28日夜。ただ、翌29日に市幹部だけに伝えるにとどまる「判断ミス」(土屋市長)により、市民への周知が遅れた。  このため、ほとんどの市民はニュースで受け入れを知った。動揺は一気に広がった。小学生の子どもを持つ母親は「子どもが感染したらどうしよう。ホテルに勤める人が保護者の中にも大勢いる」と声を震わせ、観光関係の仕事をする男性は「市民が感染したら大変。風評被害が出る」と不安がった。高齢女性は「対策をしても感染する可能性はある」とおびえた。  市内の商店ではマスクが瞬く間に売り切れ、消毒液も品薄状態に。「受け入れ先が公的機関ではなく、なぜ一般のホテルなのか」と疑問視する声も相次いだ。「ホテルはよく決断した」と評価する声もあったが、この時点では少数派だった。  不安解消の転機になったのは、受け入れ後初めて開かれた31日の土屋市長の記者会見だった。  「受け入れ先が整っていない切羽詰まった状態。国難を前に苦渋の選択をした」  土屋市長は受け入れについて「人道上の立場」だったことを強調。国の要請に、ホテルや県が了解していたことも、判断を後押ししたと説明した。  合わせて、市内全戸への説明文書の配布や、医師による市民説明会を通じ、受け入れの経緯の詳細や感染拡大防止策を徹底したホテルの体制を市民に説明。受け入れの背後に人命救助の心があったことや、ホテルの安全性について市民の間で理解が深まり、不満の声は徐々に薄れていった。

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(2020/07/25)