「またしても」中止?(上)嗚呼、幻の東京五輪 その1(Japan In-depth)

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新型コロナ禍さえなかったら、東京は今頃、外国人観光客であふれていただろう。23日には、東京オリンピック・パラリンピックが開催されていたはずだったのだから。以下、煩雑を避けるため、国際オリンピック委員会という固有名詞を除き、海外の話題も含めて五輪で統一させていただく。 すでに延期が決まっているので、今更「たら、れば」を言っても詮無いことだが、延期すなわち1年後の開催も、 未だ先行きは不透明である。と言うより。多くの国民は「あきらめムード」に傾斜しているように見受けられる。 これは根拠のある話で、延期が決まった3月末の段階では、各種世論調査で、 「開催すべき」「できれば開催してほしい」 と答えた人が、合わせて7割を超えていたのに対し、最近の調査では開催を望む声と「中止やむなし」「中止すべき」の合計が、いずれも4割台で拮抗している。 もちろん主催者側の思惑はまるで違うもので、大会組織委員長の森喜朗・元首相は、 「ここで中止したら、カネが2倍かかる」 などと言い張った。しかし2倍の根拠を問われると、 「今まで投資した分が無駄になる、という意味で」 などと急に曖昧な説明になった。早い話が、根拠などなかったのだろう。 東京都知事選では、五輪中止を公約に掲げた候補者もいたが、私自身は、個人的な意見ながらそれもひとつの見識だとは思いつつも、やはり中止ありきの議論に与する気にはなれなかった。 森氏の発言とはかなりニュアンスが異なるが、関係者の今までの努力やアスリートたちの夢を、政策的に無にするのはいかがなものかと思えたし、新型コロナ禍で打撃を受けた観光業界にとってのカンフル剤にもなり得る。当然ながら、 「新薬の開発に成功しない限り、とても安心できない」 ということは、大前提であり、その上で、可能性が少しでもあれば、という話だ。そして今、日を追ってその可能性が狭まってきている感がある。たしかに、感染拡大の第2波と言うべき事態に直面し、中でも感染者の多くが東京で生じていては、 「なにが今さら東京五輪だ」 と言いたくもなるだろう。 そうであれば、開催か中止か、どのタイミングで判断すべきかだが、政府与党の発表通り「来年春」では遅すぎるのではないだろうか。 もともと7月に開催したのでは、猛暑の東京での競技となって、アスリートや観客、ボランティアの健康が心配だと

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(2020/07/22)