「ブラック・ライヴズ・マター」のスローガンはいかにして生まれたか?──トレイヴォン・マーティン君射殺事件(GQ JAPAN)

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2020年5月25日、米・ミネソタ州ミネアポリス市でのジョージ・フロイド氏の死は、世界規模の巨大な抗議運動を引き起こした。その後、日本でもアメリカの人種差別に関する報道が激増し、読者のなかには、フロイド氏殺害動画がこの運動の「はじまり」ではなく、6年前にも、ミズーリ州ファーガソンで白人警官が黒人少年マイケル・ブラウン君を射殺した事件を契機に大きな抗議行動があったこと、また「ブラック・ライヴズ・マター(Black Lives Matter)」というスローガンは、フロリダ州サンフォードでの黒人少年の死が関わっているということを知っている者も少なくないだろう。 これらの抗議行動を理解するにあたって、レイシストの白人警官に黒人が残酷に殺される度に、義憤に駆られた人びとがストリートに出ているという単純な構図で捉えることは禁物である。頻発する黒人の死の背後にあるアメリカ社会と人種の複雑な関係を見なければならない。その複雑さの一面を見せてくれるのが、ブラック・ライヴズ・マター運動の始まりを告げるサンフォードでの事件である。 2012年2月26日に起きたサンフォードでの事件、その捜査と裁判は約1年半にわたる「メディア・ショウ」となり、同年に行われた大統領選挙以上の関心をアメリカ市民から集めた。では、このサンフォードで起きた事件とは具体的にはどういうことであり、そこにはどのような問題があったのだろうか。連載初回の今回は、日本では比較的知られていない、この事件を少し詳しくみていくことにしよう。 2012年2月26日、17歳の黒人少年、トレイヴォン・マーティン君は、サンフォードに住む父の婚約者の居宅を訪ねて、そこに短期滞在していた。晩冬の冷たい雨が降るこの日、マーティン君は、パーカー(フーディ)を着て近くのセブン・イレブンに行き、将来の義母が住む家に向かって歩いていた。その家は住人が独自の警備活動を行っている「ゲーテッド・コミュニティ」にあり、マーティン君の姿は、警備活動の調整責任者、ジョージ・ジマーマン氏の目に留まった。一般住人の警備活動とはいえ、警備に当たる者は銃を携行することが多く、被疑者の拘束などの疑似公的な取締りを行うことも許されている。 マーティン君の風情に何らかの怪しさを感じたジマーマン氏は、彼の尾行を開始し、午後7時過ぎに警察に通報した。通報を受けた警察は、ジマー

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(2020/07/21)