「松坂世代」初の名球会目前で2軍落ち、阪神・藤川もう不惑(産経新聞)

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 プロ野球阪神タイガースで今季も抑えを担うはずだった藤川球児投手(39)が、不振に苦しんでいる。名球会入りの条件となる日米通算250セーブまであと「5」と迫りながら、救援失敗が重なり、2軍落ちとなった。年齢からくる衰えなのか、それとも復活はあるのか。「火の玉ストレート」で鳴らした希代のストッパーは21日、40歳の誕生日を迎える。(上阪正人) 【写真】勝ち越し2ランを浴び、立ち尽くす藤川 ■防御率15・75  打球の行方を見届けると、呆然としたようにしばし立ち尽くした。  本拠地・甲子園球場(兵庫県西宮市)で行われた11日の横浜DeNAベイスターズ戦。2-1と1点リードして迎えた九回、マウンドに上がった藤川は先頭打者を打ち取ったものの、続く打者は四球。桑原将志外野手に直球をセンター前へ運ばれると、後逸もあってあっさり同点に追いつかれてしまう。3番ネフタリ・ソト内野手には左中間席へ勝ち越し2ランを許し、降板となった。  この試合だけではない。今季はここまで5試合に登板して2セーブを挙げているが、防御率は15・75。無失点に抑えたのは1試合だけで、6月25日の東京ヤクルトスワローズ戦でも逆転サヨナラ3ランを浴びている。  DeNA戦翌日の12日、藤川の1軍の出場選手登録抹消が発表された。「大事なポジションなだけに、今の状態ではチームの力になれない」。球団を通じて出された藤川のコメントには、無念さがにじみでていた。 ■メジャーでもプレー  藤川は高知商高から平成10年のドラフト会議で1位指名を受け、阪神に入団。当初は先発投手として育成されたが、中盤以降に球威が落ちる課題もあってなかなか芽が出なかった。  転機は肩の故障などもあり2軍暮らしが続いていた16年。当時の山口高志2軍投手コーチの指導で球速が150キロを超えるようになり、セットアッパーとして1軍に定着した。  チームがリーグ優勝した17年にはジェフ・ウィリアムス投手、久保田智之投手との強力救援陣「JFK」の一角をなして当時のシーズン最多登板記録の80試合をマークし、最優秀中継ぎ投手を獲得。19年は絶対的な抑えの切り札として日本タイ記録のシーズン46セーブを挙げ、最多セーブ投手を獲得した。  25(2013)年から3シーズンは米大リーグでプレーし、独立リーグの高知ファイティングドッグスを経て、28

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(2020/07/21)