「ロナウジーニョの獲得に失敗した我々は…」マンUのC・ロナウド誕生の舞台裏を元敏腕CEOが告白!(SOCCER DIGEST Web)
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今や世界的スーパースターとなったクリスチアーノ・ロナウド。サッカー史上最高とも言われるクラッキのキャリアを語るうえで欠かせないのが、2003年夏にスポルティング・リスボンからマンチェスター・ユナイテッドへ移籍したことだろう。
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当時、“レッドデビルズ”を率いていた指揮官アレックス・ファーガソンがスポルティングとのプレシーズンマッチで18歳のC・ロナウドにほれ込み、直接引き抜き交渉にあたったという話は、伝説的なエピソードとして記憶されている。
このポルトガル代表FW獲得の舞台裏を知る関係者は、それがロナウジーニョになっていたかもしれないと告白している。
英紙『Telegraph』のインタビューに応じた元ユナイテッドのCEOであるピーター・ケニオン氏は、「2003年の夏に我々が獲得しようとしていたのはロナウジーニョだった」と、当時、パリ・サンジェルマンからのステップアップを画策していたセレソンのナンバー10獲得に迫っていたことを明かした。
「あの時の我々はロナウジーニョの獲得のために一生懸命に努力した。ただ、やみくもに金を払うだけで選手を獲得することは、当時のユナイテッドでは、ご法度だった。それで合意には至らなかった。だけど、我々は彼らが望んだ額を支払えるだけの力はあったし、合意寸前だったことは確かだ」
その後、バルセロナにロナウジーニョを引き抜かれてしまったユナイテッドは、C・ロナウドに白羽の矢を立てたという。スポーツメーカーのUmbro社やチェルシーでも重役を務めた敏腕ビジネスマンでもあるケニオン氏は、当時をこう振り返っている。
「ロナウジーニョ獲得が上手くいかずいたところで、新たに獲得を決めたのが、ロナウドだった。当初の計画では彼は獲得してすぐにローンで放出するつもりだった。そしたらスポルティングとのプレシーズンマッチのハーフタイムにアレックスから電話があって、『彼をここに残していくのではなく、家(ユナイテッド)に連れて帰ることはできないか?』と言われたよ。これがアレックスの本当に凄いところだ。彼は誰よりもうまくマンチェスター・ユナイテッドの地位を世に売った」
もしも、ユナイテッドとロナウジーニョとの交渉が成功していた場合、C・ロナウドは一体どのようなキャリアを歩んでいたのだろ