故郷の復興支え合って 熊本・球磨、祖父亡くした村職員奔走(産経新聞)

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 九州を襲った豪雨では球磨(くま)川が氾濫し、熊本県球磨村は被災地最多の25人が死亡するなど甚大な被害を受けた。村職員らは、自宅や大切な人を失いながらも連日、住民らの生活支援や復旧作業に奔走。悲しみと故郷への思いを胸に、一歩ずつ村の復興に向けて歩みを進めている。(有年由貴子)  「被災から2週間が経過し、明日からはやっと新体制。目の前の状況を何とか乗り越え、走り続けてきた日々だった。これからは次のステージに移っていくのかな、という心境だ」  村内で特に被害が大きかった渡(わたり)地区に住む村住民福祉課職員、地下(ぢげ)翔太さん(32)は19日、こう語った。隣接する人吉市内に開設された村の避難所運営にあたってきたが、20日から本来の担当業務に復帰。避難生活を送る子供たちの転園手続きなどの保育関連業務に携わるという。  豪雨により、自宅だけでなく、14人が犠牲になった地元の特別養護老人ホーム「千寿園」に入所していた祖父、末行さん(91)を失った。  川が氾濫した4日朝は非番だった。「高いところへ早く逃げて」。地元消防団員として住民らに避難を呼びかけて回る中、「浸水した千寿園に取り残されている人がいる」と聞いた。  末行さんはほぼ寝たきりで車いす生活を送っていた。「助からないかもしれない」。直感でそう思った。同日夕、園職員から示された救助者リストの中に祖父の名前はなかった。  安否を憂う間もなく村民らの避難生活が始まり、被災者支援に奔走。しばらくして、末行さんの訃報が届いた。避難所運営の合間を縫って葬儀に駆け付け、遺骨と対面できたのは12日になってからだった。  地下さんは高校卒業後、関東の大学に進学。同世代の若者の多くが村を出る中、帰郷したのは山と川に囲まれた自然豊かな故郷を愛していたからだ。  その美しい自然が突然、牙をむいた。村職員として渡地区が最大10メートルの浸水想定区域であることは知っていた。昨年からは地域で順次、自主防災組織が立ち上がり、水害対策の取り組みが本格的に始まろうとしていた矢先だった。「いつか来るだろうとは思っていた。でも、こんなに早くその時が来るなんて」  現在は家族とともに避難生活を送る身だ。村外に避難した村民らは「もう村には住まん」と口にする。「果たしてどれだけの人が残ってくれるのか…。故郷はもう元の通りには戻らないかもしれ

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(2020/07/19)