第65回 三島由紀夫が駒場に行ったのは「リクルート」のためだった!?──内田樹の凱風時事問答舘(GQ JAPAN)

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Q: 映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目 の真実』の予告編で内田先生も出ておら れることを知りました。あいにくコロナ禍で映画館も休業中ですが、ぜひこの映画の見どころを 教えてください。 A: 1969年5月の「打ち上げ花火」 映画館が休館になる直前に公開された『三島由紀夫vs東大全共闘』はどこも満員だったそうです。 あの映画は、1969年5月13日に東大駒場で開かれた三島と東大全共闘との討論会を撮ったフィルムがTBSの倉庫で発見されたものがベースにてっています。そこに橋爪大三郎、平野啓一郎、瀬戸内寂聴、小熊英二など、いろいろな人からのコメントを織り込んで編集した。僕は同時代の空気を吸った人間としてこの討論会がリアルタイムでどういうインパクトをもたらしたのか、その「証人」としてコメントしたんですけど、「古老に聴く」みたいな感じでしたね。 監督はじめスタッフはみんな若くて、事件以後の生まれなんですよ。だからあの時代の「空気」がわからない。そこから説明しました。69年の5月というと、1月に安田講堂が「陥落」して、左翼の闘争が一気に勢いを失った頃なんです。駒場キャンパスにはもう学生たちもまばらになっていて、全共闘の学生たちも国へ帰ったり、長期のバイトをしたりしていた。そこで何人かの活動家が劣勢を挽回しようとして「打ち上げ花火」を上げたというのが実相のようです。特に三島由紀夫と思想的に決着をつけなくちゃいけないというような政治的緊急性があったわけじゃなくて、「とにかく駒場に人を集めて、もう一度闘争に火を点けよう」とした。そしたら、企画としては出来がいいですから、1000人超集まった。 僕は当時駿台予備校に4月から通っていたので、駒場でそういうイベントがあったことは後になって聞きました。予備校でも話題になってました。どんな話をしたのか気になっていたら、6月にはもう新潮社から本が出ました。仕事早いですよね。それを買って読んで、「君たちが『天皇』とひとこと言ってくれたら安田講堂で一緒に戦った」という三島の言葉にはびっくりしました。三島は一体何を言ってるんだろう、と思いました。それから半世紀経って、元陸自の将官の方と知り合って、三島をああいう行動に走らせたのは陸自にも責任があるという話を伺いました。 三島は彼の私設軍事組織である「楯の会」を引き連れてレンジャー部隊の

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(2020/07/19)