灼熱――評伝「藤原あき」の生涯(110)(新潮社 フォーサイト)
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インタビューの際に撮影された、参議院議員任期折り返し3年目のあきの写真も久しぶりに掲載される。
笑顔であり、選挙中のものと比べると、肌ツヤなどはそのままの若さを保っているが、上半身が前にかたむきしおれているようで、いかにも辛そうな近影である。
あきの身体に関して、テレビ『私の秘密』時代から度々視聴者に指摘されてきたのは、
「藤原あきさんはバセドウ氏病なのではないか」
という投書だ。
もともと大きな瞳であったが、どうも眼球が飛び出てくるような独特の眼光を放っているというのは、その病気ではないのか。選挙中や政治家になってからもよく指摘されるのだ。
バセドウ氏病と言われる甲状腺機能亢進症は、甲状腺ホルモンが過剰に分泌されることによって、疲れやすくなったり、目が飛び出したように大きく見えたりとさまざまな症状が出るという。
すでに昭和39(1964)年の舞台『ノーストリングス』でテノール歌手としての第一線から退いている義江だが、日本オペラの第一人者としての夢がある。それはオペラの国立劇場建設という悲願だ。
戦後間もない社会党の片山哲内閣のころから建設に向けて国への陳情を重ねていた。
「今こそ音楽を。こういう時だからこそ」
と言ってくれた片山総理の声が義江には蘇ってくる。
しかし片山政権瓦解で話は流れ、再び国立劇場の話が持ち上がったのは、それから10年後の昭和32(1957)年の岸信介内閣の時からだったが、国立劇場は歌舞伎や邦楽の古典芸能専門の劇場になるという政府の方針だ。
この道40年のオペラの先駆者として、義江は「政府原案に反対する国立劇場法案改正運動委員会」の委員長となり、衆議院文教委員会の傍聴や大蔵大臣、文部大臣、首相官邸へ陳情に出向く。予定候補地の三宅坂の敷地(三宅家屋敷、のちにGHQ将校のパレスハイツ)には何度も下検分に足を運ぶ。
その姿がテレビや雑誌に取り上げられ、
「いま、国会で審議されている国立劇場法案は、目的を伝統芸能の保存、振興に限っている。歌舞伎や邦楽の日本古来の芸能だけではなく、オペラや新劇などを対象にした国立劇場にしてほしい」
とインタビューで訴える。
すると夜中にある国会議員から電話があり、
「君は、国立劇場、国立劇場といってかなり扇動的だが、いったい何党に属しているのかはっきりし