香港に生きる 記者は一人の抗争者となった 何桂藍さん(産経新聞)

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 「立場姉ちゃん」。親しみを込めて、若者からこう呼ばれている。  香港民主派が実施した予備選の新界東選挙区で、新人ながらトップの票を獲得した何桂藍(か・けいらん)さん(29)は、ネットメディア「立場新聞」の記者をしていた。  昨年、反政府デモの現場で、涙ぐみながらデモ参加者の思いをネット中継した日もあれば、親政府系の男らに木刀や鉄パイプで殴られたこともある。その傷は今も背中に残る。  デモの最前線では、警察による取材規制が厳しくなっていく中、若者たちが人生をかけて戦っていた。  「記者は真理と歴史に対して責任を負うが、この運動に対しては負わない。私は責任をもって運動に関わっていこう」。今年1月、退社し、一人の“抗争者”になった。  経歴がちょっと変わっている。2008年、香港の高校を卒業してから向かった先は北京だった。北京五輪の年である。  「中国のイメージが非常に良い時代でしたからね」  苦笑いをする何さんは習近平国家主席の母校、清華大に留学した。  北京で何を見たのか。10年末から11年にかけて中東のチュニジアでジャスミン革命が勃発し、独裁政権が崩壊した。11年2月には、「中国にもジャスミン革命を!」とネット上でデモが呼びかけられた。  「そのとき、大学の指導員が学生たちに対し『運動には絶対に参加するな。自分の将来のことを考えろ』と命じたのです」  香港には存在しない数々の政治的な規制が目につくようになり、中国のメッキが剥がれ落ちていった。「大学に入るまで新聞を読んだことがなかった」という彼女は清華大卒業後、香港に戻って記者になった。  ジャスミン革命から約10年。今度は香港に、中国本土並みの規制が導入されつつある。  記者を経て今、議員を目指す何さんはいう。  「(言論の自由などに制限を加える)香港国家安全維持法が施行されて、香港の『一国二制度』は終わった。もはや(中国が牽引する)一国一制度の列車から飛び降りるほかない」  「移民の勧めですか」と聞くと、かぶりを振った。  「中国共産党が敷いたレールから外れるということ。一人一人が抗争するのです。私たち民主派は立法会選で過半数を制し、議会を抗争の場所にするために戦います」  あなたにとって守るべき香港の価値とは何ですか?  「自由。自分のしたいことができる自由です。私の人生には

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(2020/07/18)